サリンジャーとドストエフスキー   (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
批評を読むのは楽しい。どんどん書いて読ませてください 。

- 哭翁 
大変勉強になりました。小説を愛する人は洞察が深くていいですね。
僕は最近、ゴミの様なライトノベルを買っちまいました。
トムクルーズの新しい映画の表紙と、そこに『世界が認めた!』とか書かれていたのに騙されちゃった訳ですw
本当の表紙にはド下手なマンガが描かれ、そう言えばコレ、前に本屋でいらないやつだと想った本だと。
普段、ライトノベルは買わないが、これはプロを名乗っちゃいけないねえと怒りが湧いて来る。
小説家が馬鹿な文章を書いて喜ばれる時代を作ったのは、馬鹿みたいな読者に合わせて書いてしまえる人間を作家先生に仕立てた愚かな選考委員と金を出す主催者の責任なんだろうと、この愛読者の評論と『 All You Need Is Kill 』を『薄化粧』とかと比べ読むと怒りが止まらなくなってきましたよ。
あああ、畜生、あの『蹴りたい背中』や『共喰い』よりくだらねぇ物に金払っちまった!!



- ichirou 
- まーつん 
夢と現実。思考と肉体、意識と存在。
形なきものは膨れ上がり、
形あるものは擦り減っていく。
メディアのもたらす知識をまぶし、
思考という名のかまどで焼けば、個人の意識はパン粉のように膨らむ。
それを食べることで自我は肥えるが、座して動かない肉体は駆け足で老いていく。
卑小な存在を大きくする為には、゛意識゛に基づいた゛行動゛かな、と思います。
物語は経験の代理にはならないが、
その超えられない境界に足をかけようとする想いに、
物書きの偉大さは宿るのかもしれない。
良いものを読ませてもらいました。

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