現代詩概論 その壱/アラガイs
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 殿上 童 
- るるりら 
わかりませんでした。
ですが、のびしろ
のびました。

- ただのみきや 
- 北大路京介 
- 乾 加津也 
 
作者より:
皆様お目通しをありがとうございます。

たけし さん シナプスが生き物で有る限り基本的な思考は生成を意味します。ある日突然青い空を眺めてみる。その涙の意味は何でしょう。知的人類が反応してしまう泣き笑いを相対的に捉えるとき、涙は単に不純な分泌物と化してしまいます。もっと他に新しい意味が与えられてもよいのではないかと考えてしまう。コメントありがとうございます。

piggy in the mirror さん。涙で思い出されたのですが、あのアニメは基本哀しい物語だと思います。肉体が滅びた後の鎮魂の旅でもある。そう考えてみると死もまた新たな希望への段階
なのですが、 現実には生の意味を問い過ぎてしまうから他者にとってはその死も無駄な死と映ってしまう。勇気。未だ死を怖れるあまりに死を差し出すのは何故でしょう。コメントありがとうございます。


蛾兆ボルカさん わたしがあの全行引用詩などを否定的に捉えるのはまさにそこです。他者の言葉を用いて自我を享受する言葉遊び。伝達という言葉が持つ意味の破壊的な行為。概論的には寧ろ意味を持たせないと言っていい。これだけなら容認は可能です。しかし全行引用詩なる手法には誰も存在はしていない。書いた本人さえ姿を消し去ろうとしている。そこには当然本人の思考は存在している。この矛盾を言葉が発する様々な意味生成に置き換えて書かれています。これもまた容認は可能です。問題は置き換えた本人の動機です。あそこに書かれたもので重要なのは著名な作家であることであり翻訳家の名称を記することなのです。つまり著名な名前が飾られることの見た目、デザインですね。これは人間がいかに肩書きや経歴に目を奪われてしまうものか、という田中さんご自身によるユーモアのつもりなのだろうけど、書いた本人でさえその矛盾を示し出す行為を知的な新しさだと勘違いしている。つまり言葉を否定的に扱いながらも至極当然のように言葉の持つ力に頼っている。それは不毛の砂漠を言葉に置き換えたように。そこに在るのは置き棄てられた古い言葉たち表記だけです。人類の複雑に進化機能する生きた脳ではなく、知識を与えられただけの人工頭脳そのものなのです。現代詩は田中アツスケを乗り超え打ち捨てなければいけない。
コメントありがとうございます。


殿上 童 さん いつもお読み頂きありがとうございます。


鳥人間 さん
はるりら さん
この禿げ頭は出鱈目なことを書こう言おうとするつもりは毛頭ありません。 単に意味を含ませるだけではなく、新しい言葉たちその美を追及してみたい。そんな気持ちから出た言葉です。わたしにも当然わからない言葉たちです。コメントありがとうございます。

ただのみきや さん いつもお読み頂きありがとうございます。




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