作者より:
「広告詩」というテーマで、書いてみました。
良い広告コピーには、詩を感じます。同時に良い詩には、広告を感じることもあります。
良い広告コピーは、購買欲を促し、良い詩もまた、生きていることの真実を、まる裸にし、生きること、すなわち命を促します。
詩と広告という、一見相反する二つの表現、メディアが語るべき、どうしようもない、生きている私たちの、最大公約数的なあり方が、そこにあると思います。
「詩的な広告」というのは、かつてのテレビコマーシャルにも、たくさん見られたものでした。それが今では、むしろ「広告的な詩」とでも言うべき、直接的なソリューションとしての表現が、じつに増えてしまったように思います。
詩においてもまた「広告的な詩」が、増えてしまったように感じます。
「詩」は、どこへ行ったのか。
それが、私が着目している点です。かつて、広告にも詩はあった。無論、詩にも、詩は、あったのです。
これを、広告というフィルターを通し、現代の人々のあり方を、まる裸にしてみるのが良いと考え、書いてみたのが、この詩です。
この、広告でもあり、詩でもある、不思議な読後感を、感じていただけたら幸いです。また、広告と詩の、今後の描かれ方と、指針を、ここからなんらかのヒントを得ることができたなら、それこそが幸いです。