名前と番号/HAL
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
もう、社会に戻れない人は別として、冬眠期間でしょうね。次に名前を呼ばれる時は、胸はって行こうみたいな。

わたしは収監されたことはありませんがHALさんは何らかの事情で刑務所に入った身近な人がいるのでしょうか。

そういうことでないなら、ちょっと不用意な発言かもしれません。

狡くてあちこちギリギリのところで逃れて、税金からの供給をふんだんに取り込む人も、それを指南する機関も、風の噂ではあるようですが、そういうことは出来ずに犯罪を犯し、オツトメをすることになった人は「死刑」ではありません。退院(?)したら、もう間違わないように、様々な支援と温かい援助が必要だと思います。(そういう機関もあります)

「番号で呼ばれる意味」について、もし自分がそうなったら、生きる気力を無くすような表記と見受けられたので、書かせていただきました。



- 殿上 童 
- 梅昆布茶 
それに抵抗しています。
- 吉岡ペペロ 
- 朝焼彩茜色 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- るるりら
初読した際には V・E・フランクルが 収容所での自殺者について、この詩とよく似た思いに囚われた人々は自殺した。と、書いていたことを 思いました。自らの命に絶望せずにすんだ人とは 芸術的活動<歌を謳う人、神に祈りをささげる人、ユーモアをもった人>は、自殺をしなかったと記してます。そして人は いかなる場合でも<収容所のような環境に追いやられたとしても> いかに生きるかという選択があるとも 彼は記していたことを 思いました。

レスのやりとりを拝見することで、彼の存在もこの詩と関係があると知りました。そういえばHALさんは、収容所のある場所に行ったことがあると、おっしやっていたことを 思いだしました。かの土地に行けば、囚われた人々の絶望を思わずにいられないのでしようね。

けれど、 V・E・フランクルの功績は、収容所のような暮らしであっても 意味を感じて生きた人々はいたという報告です。 V・E・フランクルの本は、自身の番号のある暮らしから生まれたものであり、いかなる人生にも意味があることを V・E・フランクル自身がその著作 その生き方で証明していることを忘れてはいけないと 私は思います。

---2013/04/25 15:53追記---
拝見いたしました。けれど、詩文には 収容所の話とは 書かれておられないので、さまざまなことを 思いました。たとえば、番号とは言っても 野球の永久欠番の背番号とか 逆に 栄誉となることも あったりして、人の心とは 不思議なものですね。

簡素な詩文ですが、さまざまなことを考えさせられました。
ありがとうございます。
 
作者より:
>鵜飼千代子さんへ。

ご免なさい。ぼくの拙い詩に、より以上の誤解を与えてしまったことを、まずお詫びしておきます。この拙詩の対象としているひとびとは、アウシュビッツ=ビルケナウ絶滅収容所に送り込まれたユダヤ人だけでなく、同胞でありながら精神病患者だという理由で送り込まれたひとびと、いまで言う同性愛者のひとびとなど、110万人とも600万人とも言われるひとびとを想い詠みました。ただ、明確にそれを稚拙な詩にすることは、ぼくにはできないことと、もう25年も前のことでありながら、怖らく一生忘れない記憶として刻まれてしまったのは、そこを自ら訪れた自分の責任であると考えています。誤解を生む表現になったことは重ねてお詫びしておきますが、万が一そこがどんな場所であったか、並びにそこに収監されたひとびとがどういう扱いをされていたかは、ユダヤ人でもないのに反ナチ思想を持つ人間としてSS(秘密警察)に捕えられ絶滅収容所に送られた精神医学者であるV・E・フランクルが生還して書いた“夜と霧”の著作もありますし、ぼくが足下にも及びませんが、中島みゆきクンのアルバム“DRAMA!”の最後の楽曲に一切、アウシュビッツ=ビルケナウ絶滅収容所でオートメーション工場のように葬られたひとびととは分からぬように、しかしそこを訪れた人間には明確に分かる詞を紡ぎ出している“天鏡”という楽曲があります。以上が言い訳を微塵も含まない拙詩の真意です。
>殿上 童さんへ。

ありがとうございました。
>梅昆布茶さんへ。

いつも簡潔な鋭いコメントを頂いたことに感謝です。ありがとうございました。
>朝焼彩茜色さんへ。

ありがとうございました。
>るるりらさんへ。

ぼくは、絶滅収容所に関する文学だけに関わらず、読みもし、観もし、聴きもしてきました。
しかし、ぼくは明確に彼処で行われたことを間接的にしか述べないと決めたんです。V・E・フランクルも言っていますが、夕日を見て綺麗だと言ったひとは、あの地獄以上の場所から生還しています。また、フランクルはこうも言っています。“もっとも善きひとたちは帰ってこなかった”と。ぼくが、もっとも憶えているのは、石炭の混じった穏やかに吹く風のみです。るるりらさんが、どうお感じになるかは、るるりらさんのひとつの考え方です。それに反論する気は、毛頭ありません。ただ、いま飛行機はファースト・クラスで宿泊はホテル・リッツで、さらに行ってくれれば1千万の経費も用意しようと言われても、もう彼処へ行く気持ちは微塵もありません。あれほど多過ぎるくらいのエッセイを残された開高健氏も、彼処を書いたのは、開高健全集1巻に収められているものだけで、その頁は僅か2頁です。ぼくは、その意味を理解できる人間ですというより、開高健氏の考え方に汲みするものです。
---2013/04/25 14:56追記---

---2013/04/25 14:58追記---

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