社会科学と文学/葉leaf
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
- N.K. 
社会科学が、例えば、M.ウェーバーの目的合理性や、エートスと
いったことばで語られる研究の分野であるとしたら、文学はどのよ
うなことばで、その領域が語られるのでしょうか?自分が分かって
いないということなのですが、詩に限ってみても、意外と幅広く、
社会科学と浸透しあって、その輪郭があいまいになっているような
気がします。社会学や経済学、法学に対応する人文科学は歴史学
を除くと言語学や詩学、美学等あたりかと勝手に推測しますが、そ
れぞれに社会科学と浸透しあっているように感じられます。自分に
とって文学は知っているようで、分かっていなった領域だと気付か
されました。
- さわ田マヨネ 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 動坂昇
 お勉強がお好きなのだなと思いました。

 もちろん優れた文学者は絶えず本質を見抜く機会をうかがっており、そのために文学以外の分野にも注意を払っているはずだと信じます。しかし、広田さんの書いておられるところをみると、広田さんにおかれましてはせいぜい文学が他の諸学の鏡としての機能しか期待されていないのではないかと思えてしまいます。それではひとが詩を読む必要はなくなります。なぜならば、初めから文学ではなく他の諸学の書物を読んだほうがよりよいということになるからです。
 文学においてしか表現されようのないもののためにこそ文学の中心は開かれているべきです。さもなければ文学の initiative は成り立ちません。実際、社会科学の領域の学者が文学に目を向けるときというのはまさに、これまで誰にも語られたことはなかったけれども自分がこれから社会科学の研究方法を用いながら問いたいと思っているあるひとつの問題の本質が、ある文学テクストのなかに見事なほどによく表現されているように見えるときでしょう?

 なお言葉尻を捕えるようですが、私の思うに、瀬尾郁生の詩は『アンユナイテッド・ネイションズ』などよりも遥かに以前から社会への意識を備えていました。そしてそれ以上に、彼は世界の隠喩としての詩/隠喩としての世界の詩学をごく初期から追求していました。そのことは詩だけではなくて評論集からもわかります。『アンユナイテッド・ネイションズ』によって成し遂げられたのは、もっと別のことだと思います。
 
作者より:
例えば谷川雁の作品をお読みください。彼は社会学を修めていて、詩のあちこちに社会的な認識やモチーフが散見されます。あとは瀬尾育生の『アンユナイテッドネイションズ』もまた、社会意識に目覚めた人の詩集となっています。

Home
コメント更新ログ