「ペチカ」/ベンジャミン
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
暖炉の炎をみているの大好きです。連れがいらないくらい。

言葉はいらないですね。
むしろそっとしておいて欲しい。


けれど、それはわたしのひとり世界で、そんな時「サービス」のお酒をいただいたり、邪魔にならない話しかけを貰った時は、視線が移ったというか広がりました。

ただ、ひとりでのんびりしたくて出掛けているので、あまり、取り込もうとするような雰囲気は苦手で、拒絶と希求の混濁した気持ちのジレンマにやられるかな。

ベンジャミンさんはどうですか?

追記***


「現代詩フォーラムでも絡んでくださいね」と、別の場所で書かれて、チャンスを伺っていました。

もちろん、何年も前から現代詩フォーラムでお見受けしているメンバーだからというのはあります。

社会で言えば営業でしょうけど(笑)、まぁ緩く気さくにコメするって、だらしないんでしょうかね?


暖炉は、わたしの生活では必要としないのですが、暖炉がある宿泊施設にお一人様や息子連れのクリスマスの記憶などがあって、それがあたたかい記憶なので、リアルでなければ、体験してみてください。

リアルだと、もっと説明的でなくタイトになるかもしれません。




- ちさ 
- 芦沢 恵 
- たま 
- 紫蓮 
涙で滲んだ世界

苦痛、悲痛、快楽、感動

虹色の涙で歪んで見える世界


僕はどれも嫌いじゃない
だからね

いつかその滲んで歪んだ世界
どうにかして一枚の写真にうつしたい

そんな滲んだ世界たった一枚で表現しきれないのくらい
わかってるんだけどね、

どうにか共有したいから
- カンナ 
 
作者より:
鵜飼さんどうも^^

書いて手直ししていたのを読み返しながら
「これはやっぱり自分の中だけの世界なんだよなぁ」って思っていました

自分の詩について語る言葉をあまり持ってはいないのですが・・・

この暖炉は存在してはいません
蝋燭も本も存在してはいないんです
空想・妄想・・・何と言われてもいいくらいです
でも、たしかに私の中ではありありと在ります
そういった記憶としてこれからも在り続けるんですよね。。。

目を閉じて見えるものとしての暖炉の暖かい炎と
対称的な自分の中で感じる言いようのない寒さが

それを詩の中で薪のように言葉として燃やしたら暖かくなるから
こうして書いてしまうんです

自分の自分による自分のための詩

ジレンマが在るとしたら、書くか書かないかのジレンマです
そしてそのジレンマにさいなまれたら書く方を絶対に選んでしまう
それは「拒絶と希求の混濁」とまったく同じのように思います^^

自分のための詩を通じて、空間としての世界以外の世界の一端に
言葉という見えるもの、感覚という見えないもののつながりが見えました

うん。 なんかおしゃべりが過ぎましたw

一言で十分でしたね「読んでくれてありがとうございました」って(笑

---2013/03/02 01:18追記---

んー・・・ ずいぶんと冗長に書いてしまった(悶

うん。 ほんと「読んでくれてありがとうございました」です

Home
コメント更新ログ