巡礼/HAL
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 元親 ミッド 
- ただのみきや 
- まーつん 
゛巡礼゛。Wikiで調べると、宗教的な聖地を巡ることで功徳を得る行為らしい。
僕にとっては、好きな音楽や好きな本を読むことが、一種の巡礼になっている。
そこに、自分の探す生き方へのヒントみたいなものがある気がして。
でも長く生きていると、それでは満たされない穴が自分の中にあることに、気づき始めるのかもしれない。
或はその穴は、僕らが生まれた時からあって、そこから目をそらすいろいろな出来事を通り過ぎた後で、
今はじめて真正面から向き合っているのが、今のHALさんなのかもしれないと思いました。
僕もいつかは、どんな慰めも意味をなさない空しさに襲われる日が、来るのかもしれない。
ただ、HALさんの詩が好きな人がいるということも、忘れないで欲しいですね。
僕の詩を評価してくれたことも、僕にとって、とても意味のあることなんです。
HALさんは、語りかける甲斐のある、とても意味のある存在なんです。

---2013/02/24 09:58追記---
- 吉岡ペペロ 
- 朝焼彩茜色 
巡礼なのでしょうね。頑張るのと委ねるのバランスをとりつつ、
ただ息をしているだけでも個人的にはいいかと思います。
人それぞれ色々ありますよね・・・(微笑み)
- ススメ 
 
作者より:
>ミッドさんへ。

最近は、いつも読んで下さってますね。感謝です。ありがとうございました。
>れたすたれすさんへ。

妄想巡礼でも、それも巡礼ですよ。少なくとも、ぼくはそう想っています。ありがとうございました。
>ただのみきやさんへ。

読んで下さり、嬉しく想います。ありがとうございました。
>まーつんさんへ。

とても喜んでいます。でも、年を重ねていくことは、佳いとまではいまの時点では言えないけれど。悪いことではないですよ。若い頃に見えてなかったものが見えてくる。聴こえてなかったものが聴こえてくる。静寂に意味はあると分かってくる。どんなひとの生にも意味があることを分かってくる。以上は、ほんの少しの例です。感謝の意を込めて、ぼくの好きな半句をお贈りしたいと想います。
現代詩人佐々木幹郎氏の半句です。

人はだれも
己の青春を救うために
一生を費やす

追記として、於いたるものの戯れ言として読み流して下さい。ウィキなんとかは、きっと便利なんだろうと想うけど、辞書を引く方がぼくは好きなので、つかったことはありません。いとも簡単に、その意味が分かることを、ぼくは緩慢に痴呆になっていくことだと想っています。倉本聰氏もこう言っています。『人間は、本来のエネルギーを使わず、サボるためにさまざまな機器を発明してきました。例えば、5メートル歩くのをサボるためにテレビのリモコンを作ったり…これを「便利」と呼んでしまった。だけど、これが本当に幸せで満ち足りた生活といえるのですか?  』  聡明なまーつんさんです。この真意はお分かりになると、ぼくは信じています。


>伊藤鷹彦さんへ。

また読んで下さったんですね。ありがとうございました。
>朝焼彩茜色さんへ。

仰る通りだと想います。どんな状態であろうと、いのちある限りそれは生だと、ぼくは想います。ありがとうございました。
>ススメさんへ。

初めまして。プロフィールを拝見しましたが、謎を愛する方のようですね。それとは関係なく感謝です。ありがとうございました。

---2013/02/26 14:22追記---

---2013/03/10 21:01追記---

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