信仰と文学に関するメモ 一/るか
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- N.K. 
石原吉郎の名がでてきて、すぐに彼に限らずとなってしまうのは、
残念。二以降でまず石原氏と宗教についてどう論が展開していくの
か、個人的に期待しています。
 
作者より:
れたすたれすさん。あ、そうですか。で、何故、そう思われるのかもお書きにならないのであれば、まったくお話になりません。却下。
---2012/09/25 21:29追記---
N.さん。そうですね。以前も少しやりとりさせて頂いた記憶があるのですが、ツェランと少なくとも比肩しうる歴史的意義が石原にはあるだろうという見立てでいます。所が、詩人団体の代表まで務められた彼の作品と人間とを語る詩壇の評論のお粗末さといったらない訳で、これは昔からなんです。いかに詩人たちの、少なくとも批評的言説が宛てにならないものか、石原をめぐる批評を瞥見するならば、クリスチャンならすぐに見てとることが出来ると思います。石原の意義はシベリア帰りというだけではない。そこには明らかに芸術表現が総体として直面せざるを得なかった歴史的現実の困難に対する苦闘があり、その意味で荒地派本流とは全く異質です。そしてそこには、引き絞られた生の声を鳴り響かせるという倫理があり、それは閉塞のなかでアクロバティックな悲鳴をあげるバンシーと化した現代詩人の存在様態とも地続きです。勿論、スケープゴートとアクチュアルなイジメの在り方の懸隔についても接続しうる精神の文字が、石原のエクリチュールです。では、N.さん、返答お待ちします。


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