黄色い豚の屠殺場/吉岡孝次
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
ああ、うれしや。洞穴に蜘蛛巣城を睨み生きているひとが居る 。

以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 孤蓬
>仔豚啼く 毒に腫れたる腺なれば喉裂きて取れ喉裂きて取れ
「喉裂きて取れ」という言い回しに、口語直訳調のぎこちなさを感じます。

>この国に撒かれし毒をも糧にしてうねる地下茎その名は「絆」
「撒かれし毒」という表現に過去・回想の助動詞「き」の連体形「し」が用いられていますが、この助動詞は過去の経験を回想することの叙述などに使用されます。
しかし、この歌の場合、文脈上、過去・回想といった「時制」の意味合いではなく、「(毒を)撒く」という動作が完了したことを示す「相」の意味合いですので、過去・回想の助動詞ではなく、完了の助動詞「たり」を用いて、「撒かれたる毒」などと表現するのが適切です。
現代口語では、過去の「時制」も完了の「相」も、同じ助動詞「た(だ)」を用いますので、現代人の文語表現では、この歌のような混同が目立ちますが、文語においては、過去の助動詞と完了の助動詞は区別されていますので、使い分けが必要だと思います。

>豚ならば飢死にだけはせぬものを母子は骸のまま痩せ果てり
「果てり」という日本語は存在しません。
動詞「果つ」は、下二段動詞であり、下二段動詞に完了・継続の助動詞「り」が接続することはあり得ません。
下二段動詞に接続する完了・継続の助動詞は「たり」ですので、「果てたり」と表現するのが適切です。

>旨味知る故に訪ねし屠殺場カルトとファシズム手を携へて
「訪ねし屠殺場」も、文脈上、過去・回想の意味合いではなく、完了・継続の意味合いと思われますので、過去・回想の助動詞ではなく、完了・継続の助動詞を用いて、「訪ねたる屠殺場」と表現するのが適切でしょう。

失礼しました。

---2012/09/28 20:37追記---
>豚ならば飢死にだけはせぬものを母子は骸のまま痩せ果てゐたり
「瘦せ果てゐたり」も、文語としてはぎこちなく不自然な印象。
そもそも、「ゐ」も「たり」も両者とも継続の「相」を示す語であり、「瘦せ果てておりいた」とでもいうような蛇足表現。
 
作者より:
「豚ならば飢死にだけはせぬものを母子は骸のまま痩せ果てり」を
「豚ならば飢死にだけはせぬものを母子は骸のまま痩せ果てゐたり」と差し換え。
                              (2012/09/17)


---2012/09/17 19:50追記---

「黄色い豚」は特撮ドラマ『愛の戦士レインボーマン』の挿入歌『死ね死ね団のテーマ』より。
参考URL:
http://homepage2.nifty.com/Legend/sinesine-uta.htm

---2012/09/29 16:34追記---

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