呟き 詩と世界の等価性のことなど/るか
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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( 〝ほらね、 君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ、そしてそれはテツガクなんだ!〝
、、ここは第にじ世界大戦が差し迫るとあるパリのカフェ、、てかこれはボーヴォワールの〝女ざかり〝の一節ですが、、アロンとゆーひとが若きサルトルとゆー人にベルリン仕込みの現象学とゆーものを紹介する場面ですが、、けっ局、現象学もサルトルも近代科学も誰もカクテルについて、つまりはわたしたちの文化てきな産物、感性てきな産物について語ることについに成功しなかったきがしますね。。だれも〝カクテル〝について語れなかったし、語ることがことができなかた。。
ホワイトヘッドにゆわせれば、近代科学とは中世に抑圧されたプラトンしゅぎの復讐であり、自然科学てきにゆえば、つまり要素還元、原子論的にゆえば、カクテルなんてただの水やらアルコールやらその他もろもろの混合物以上のものではないのだから。。
ゆえに、俺のグラスの中で揺れているこのリアルすぎる〝カクテル〝はしかし客観的事物ではないんだ。。うう、俺のカクテルはマボロシ!そしてお前が妻の次に愛するその柘榴ピンクのカクテルも〝夢〝なのさっ!。。俺たちは〝カクテル〝とゆー概念を共有はしているが、俺達は〝カクテル〝とゆーものがじっさい存在すると考えているが、、そんなものはぜんぶ俺達のマボロシで、夢で、ウソっぱちなんだ。。俺の主観とお前の主観を足してみたところで、それは二人の〝主観〝であり、やぱり〝カクテル〝も〝マヨネーズ〝も〝自転車〝も、それらはみんな俺達の主観の中にしか存在しないんだ。。。。。

失礼いたしました。。

そしてぼくも詩に限らず、カクテルについて語れることばをずっと探しています。。)
- 鵜飼千代子 
- nemaru 
 
作者より:
なるほど。ツさんしかし世界を総体とみなすと、リアルなカクテルはその要素デスね。やはり分解してるんじゃなかろーかとゆーのが、私の立場となります。リアルさの段階の違いかなと。詩とか真実という関連でいえば、リアルさ=真実、でもいい訳です。いずれにせよ、生活世界が虚妄でイデアルな世界が真実、ではなく、リアルさの相対的な程度の違いみたいなことを考えています。この生活世界のリアルさを支える究極のリアルが、イデーである、というような。

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