傍観者アンケート/salco
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 只野亜峰 
- ……とある蛙 
いじめ問題は解決する種類の問題では無いと思います。対応、マニュニュアルなど不断に更新する必要があります。加害者側の親のカウンセリングも必要です。不断の取り組みと努力の継続が必要です。←重要。
- peau 
- N.K. 
自分自身、国境などいらないと観念的に思っていても、隣との境界
争いはしそうだなあと思います。(うちは集合住宅の2階なので、
庭などないのですが・・・。)まずその辺をきちんと見るところ
から、自分はこの問題を考えなければと思います。
 電車で怖い人に恫喝されている人を見掛けたら、自分は確実に傍
観者になっているだろうとも・・・。それでいて、赤信号を無視し
て渡る人には、憤りを感じて、大井町で殴られて亡くなった老人の
ように言いたい気分になります。それでいながら、その殴った人
が、被災地から避難してきた方であるのをニュースで読んで、殴る
以外の絆は、われわれは作れなかったのか、また狭量な正義の立場
から、他人を裁く以外の絆は持てなかったのかと鬱々とした気持ち
になっていたりします。


---2012/07/29 23:01追記---
- 哭翁 
丁寧な説明ありがとうございました。

改めてポイント入れさせてもらいます。

危害を加える者はもちろん、それを囃したてたり、自分は違うんだと止める素振りを見せて加わっていたり、その空気を日頃の様に流している傍観者も実刑を受けるべきだと僕は考えています。
- ブルーベリー 
- 北村 守通 
 
作者より:
只野亜峰様 : お目に留めていただきありがとうございました。
奥主 榮様 : お目に留めていただきありがとうございました。 
……とある蛙様 : お言葉も下さりありがとうございました。おっしゃる通りで、「士農工商/穢多非人」や村八分を持ち出すまでもなく、序列化と力関係、差別と疎外は人間社会の随伴物です。
人権意識の普及さえ依然、潜在欲求の解消には至りません。これが暴力的攻撃性を帯びた場合には、強権的なストッパーで介入するしかないのではないでしょうか(勿論、夜の公園や川原での
リンチには間に合いませんが)。
およそ大人の自己抑制も状況次第であれ、「無防備な青少年期が餌食にされる社会であってはならない」これが未成年者保護の理念だと思いますが、1歩外に出た子供を親は守れない、これが
実情です。そこで改めて奇異に映るのが、嗜虐行為の温存環境であった圧倒多数による徹底的な座視、自発的無関心です。婉曲的同調とも見做せるこの体質も、均質化を求めてやまない社会や
家庭が助長するのでしょうが、教育現場では改善に促すシステムの導入が必要かと。
peau様 : お目に留めていただきありがとうございました。 
N.K.様 : お言葉も下さりありがとうございました。生真面目でいらっしゃいますね。私も勿論、傍観者ですよー。許容はしますが、人はインセンティヴなしに対象を「愛」しはしない、無私ではあり得
ないものです。渋谷でもケンカの仲裁で男の人が刺されましたが、義人とは結局、意図しようとしまいとそれで蒙るかも知れない損害を引き受ける「無鉄砲」の事で、危険が増すほど僅少になるのは
当然ですよね。でも正義の尺度は人それぞれですから主張が多過ぎると衝突が増えるかも知れません。
無関心はこれの逆です。人畜無害の老人や子供に手を貸すのはた易いですが、それが厄介な対象ならば私達の殆どは心の中で看過の訳をあれこれ正当化して後ろめたさを払拭します。こうした保身は
社会人の処世術であって、校内に必携のスタンスではありません。学校は閉鎖空間ですからいじめの激化や長期化、「シカト信仰」は教師と生徒双方の意識改革で摘めるのでは?と思うのですが。
哭翁様 : お言葉を下さりありがとうございました。はい、事後の架空アンケートです。「どこでもドアー」もハウツーも提示せず、自殺済の苦しみに「生きて欲しかった」などと砂糖入りのうがい水をぶっかけ
る大人ですとか、人間の幸福論を学習中の生徒の皆さん、てめえのガキを毎朝猛獣の檻に送り出しているとは敢えて気づきもしなかった親御さんなどを想定しました。
ポイントなんか結構なんですよ、お気遣いさせてすみません。習性まで処罰対象にしたらナチス政権下みたいになりませんかね? 示威や暴力で劣等感や欲求不満を解消する嗜癖も普遍で、これを抑え
るのは倫理観と思いたいですが、条件次第のようです。子供時代は決してユートピアではありませんが、とりあえず学校では誰もが寛いで成長できるシステムの導入が急がれるのではないでしょうか。
なるみ様 : お言葉も下さりありがとうございました。おっしゃる通りですね、個人も社会も多様なのに、それを認めない姿勢に無理がありますよね。思えば学力偏重を危惧する声は私が中学生の頃から
ありましたし、その頃と何が変わったかと言えばお受験の普及ぐらいです。鑑別所みたいな公立に子弟を入れたくない人情も、私立学校側の児童峻別も均質化の欲求なんですよね。環境整備と生徒管理は
有名私立に分があるのは当然で、排除が許されない公立は違う方法論で行かなくてはいけないのに、児童数減少に統廃合で対応するだけで、少人数学級も職業訓練コースの導入もいまだ実現していない。
尺度が予算と「機会均等」の履き違えだからでしょう。殺傷のゲーム感覚、遊び感覚の増長を見ても、精神年齢の低下というか現実認識の劣化というか、「命の大切さ」なんつー観念論とはもはや次元が
違う気がしますけど。 
ブルーベリー(藍果)様 : お目に留めていただきありがとうございました。
北村 守通様 : お目に留めていただきありがとうございました。

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