アスファルトの向こう側/まーつん
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 吉岡ペペロ 
- HAL 
テーマがまったくぼくと同じです。
もし連休明けになると想いますが
似通っていたらご容赦下さい。
でも感銘を受けた作品でした。
- 梅昆布茶 
隠す事によって更に失われてゆくものがあるとしたらそれが怖いです。

- じじ 
どうして人は人を簡単に殺すようなことをしてしまうんだろう
痛いぐらい悲しくてつらい。生きてくことはこんなにも
むずかしいんだろうか。
- 殿上 童 
- beebee 
- nonya 
- 灰泥軽茶 
- 灘 修二 
- 北大路京介 
 
作者より:
大津市の事件に触れた時、僕の中に悲しみや怒りはあまり沸かなかった。
あったのは、゛またか゛という思いだけ。そんな自分が怖かった。感情の麻痺した、怪物のような気がして。
それでも、ネットに氾濫する情報を取りつかれたように追いかけていた。
好奇心と、僕の中に巣くう空しさを埋めてくれる何かが、そこにあるような気がしたからだった。
この詩を書いて気が付いたのだが、本当の恐ろしさは、加害者の少年たちではなく、黙殺した学校でもなく、
それらすべてを内包する社会全体…、自殺した少年に対して、なぜ人生には、つらいことがあっても生きる価値があるのかを、誰一人としてはっきりと説明できない我々自身にあるのだと気付いた。
慰めでも気休めでもない、この世に生きていくために握りしめる、しっかりとした手がかりのような真実を、命綱のような希望を、誰一人差し出すことのできない社会。
それでいて、命の大切さを語って自殺を引き留めようとする大人たち。だが、少年を苦しめた社会…虐待を許し、被害者を見捨てる社会を作り上げてきたのも、その同じ大人たちなのだ。
それは、苦しむ者を生き地獄に引き留めようとする、善意の仮面をかぶった無慈悲な鎖のようで、僕にとって恐ろしいのは、そのことだった。

---2012/07/18 21:46追記---

HAL さん゜コメントありがとうございます

誰かの悲劇的な死に立脚した作品を書くというのは、どこか後ろめたさを覚えるものです。
でも僕自身、学校では孤立することの多い子供でした。
なんとなく、自分は、この事件についての言葉を何か綴るべきだという気がしたのです。

梅昆布茶 さん コメントありがとうございます

事件を隠すことによって失われるものがあるとしたら、それは゛教訓゛だと思います。
ネット上のパッシングには行き過ぎた面もあるとは思いますが、
こうした事件に対し世間がより多くの耳目を開くようになったことを、僕は好ましく思っています。

じじ さん コメントありがとうございます

ある種の人々が、周りの人の命を軽んじるのは、
彼らが自分の命を生かし切れていないからだろう、という気がします。
自分の心を粗末に扱う癖がついているから、他人のそれも簡単に踏みにじるのです。

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