飛ぶ鳥をよく知らない/いとう
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 本木はじめ 
- 木葉 揺 
- 千月 話子 
- みつべえ 
- ダーザイン 
- 霜天 
- 月山一天 
いいですね、うっとりです
- mina 
- チアーヌ 
- 服部 剛 
「無常観」の境地が垣間見えます。
- 窪ワタル 
- 斗宿 
- 渡邉建志 
飛ぶ鳥をよく知らない、たぶん、I don't know about a bird which flies。なのだろうけれど、勿論主語の「私」は省略されてるし、リズムも5(2+3),5(2+3、《4だけど》)って言う感じで素敵だし、なんだか頭韻も踏んでいるし。日本語の、連体形と終止形が同じだという特徴とそれによる読み手側の一瞬の混乱というか混同というかが、この詩全体で見られ、大切なのかもしれない。これだけの短さの中に{(V+S)}Adv+Vって、動詞がぎゅうぎゅうと詰められているところに、イメージの凝縮があるのかもしれず、この一言を読むだけで、なにかさまざまな広い世界が広がっていく。主語と動詞がまっすぐつながっていかない間隙や他の主語、動詞との混濁がこの詩の全体的にあるのだろうか。じわじわと。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ヨルノテガム
はじめまして
文学極道で 見て読んだので 少し感想書きたくなりました
えっと 僕は詩を読むとき 置き換えること逆を考えることを
よくするのですが これは鳥という象徴で
生き生きと生きてる人 死んだように生きる人
という風に簡単に分けて 考えました
爪毟り取る というのは 心や身体を傷つけても
夢を見ていたい 空っていうのは 難しい感じがしますが
存在理由 存在不思議 みたいな物なのかな?
そういうものを感じていたい という願望だけが残ってある
でも 痛みをなぞるや鮮やかな人 という対策対象からしか
たどっていけない実感というは 狭苦しさを
感じます 鳥という自由さの象徴を元にした展開も
ちょっと もう狭苦しいかなとも思いました
でもその狭苦しさに 居続けたい感を感じました
閉鎖感なのかも
パズルの感覚で読めば 僕はすんなり 細かな心象の
在りどころを 楽しめたようにも思えました

鮮やかな他人を じっくり見ることもなく
というのは 詩においては 鮮やかな人ばかりを
見てしまっている という風に僕は捕らえてしまいます


 
 
作者より:
初出:めろめろ112号
http://poenique.jp/mero/

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