以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- - るか
- 思春期の性急さを感じさせられますが、まあ、焦らずマイペースでやられたら如何ですか。ちなみに絶望と祈りについてはキェルケゴールが書いたものがありますし、キリストは自分を指して、「わたしは存在する」という名だと語ったことが、聖書には書かれています。そこから、存在とは何か、という神学的な問いが現れてきます。もしクリスチャンが自らを善人だと錯覚しているとしたら、それは正される必要があると思います。悪人だから懺悔をし、それでも、少しでも善に近づこうと祈るのが、ポピュラーなクリスチャンの姿かと。わたしも悪人です。
---2011/03/04 23:59追記---
- - wasao
- - ゴースト(無月野青馬)
- - 魚屋スイソ
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