十月夜の四方山話/小池房枝
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
えい !


- 殿上 童 
- あおば 
- 夏野雨 
- 高梁サトル 
>forget me not 青き小さきこの花を四季咲きにしていかにせんとや
好きです。

四季咲きのミニ薔薇が健気に咲いています、薔薇は棘があるから美しいですね。
-  
>神無月まだ咲いているアサガオがもう咲いている午前二時半
>十月の市民プールの午後五時は夕日に溢れた海のようです
>雲間からきらりと見える木星が月から零れた何かのようだ

ハッ!としました。
 
作者より:
やみながしそうめん。
---2010/10/23 17:15追記---
こんにちは。ひとと話がしたい気分だったので孤蓬さんコメントうれしいです。
(方々のコメントではうれしくない、話にならんというわけでは勿論ありません。)
さて早速「下るる大火」ですがハイ、私の記憶違いで「流る」で「くだる」が本来だったようです。「大火流る」で赤い大きなアンタレスが西に傾く。秋であるぞと。例によって本で見覚えた断片のひとつ李白、「時は大火流るるにあたる」のフレーズだけが頭にあり、誤変換?に引きずられたようです。ああでも、誤変換とも言い切れない気もします。「流る」で「くだる」だと今度は此方に読み仮名が必要になるでしょう。
秋咲きの山吹については、「受くる」を教えてくださって有難う。国語辞典に「受く→受ける」で載ってはいるものの・・・、と最後まで迷ってはいたのです。「雨を受けるさま」にはしたくなかったので、「雨を受くるさま」、「雨受くるさま」で詠み手としては落ち着きます。それでは読み手側からは?ですが。
最後の二つ「なって」は「なりて」、「いかにせんとや」はいっそ「どうしろという」が正解でしょうか。短歌を投稿するとき、ああ、この辺はたとえば孤蓬さんから見たらどうだろうと自省する癖だけは付いてまして、出所がわかっている表現ならば出所を確かめる、手元にない表現であるならばグーグルで検索する、と何時もそこまではしてるのですが前例があったからといって判断の足しには余りならない処がグーグルの限界でもあり古語・古文・古典に基礎なき自分の悲しい処でもあります。
でも自分の言葉なので自分で世話していかなければなりません。お手を煩わせて恐縮ですが折々にいただけるコメントとても有り難く思っています。

---2010/10/23 17:47追記---
「大火流る」をタイカクダルと読み下すことの出所は直接には私の場合「宙ノ名前」林完次、光琳社出版に拠るものです。今さっきグーグルで検索し直してみましたならばこの本の記載を元ネタ?にしているらしい文面は幾つか出てきたのですが何分咄嗟に見ただけなので、漢文としてはどの程度妥当な読みなのか。巻末にある参考文献に李白は直接にはなく、野尻抱影なり物類呼称なり和漢三才図会なりが参照元なのか、ただ、変な言い方ですが私の印象では全般、きちんとした図鑑?なので信頼しています>「宙ノ名前」。HPやブログに書いてたものが量まとまったので本にしました〜的なものではないので。また、星の古記録などについての別の書籍等でも「大火クダル」は往々、目にした気がするので(アンタレスのそばには火星がよく来るのでそのたびに何の天兆かという話によくなるので)李白のほうからも星のほうからもまた調べてみたいと思います。

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