作者より:
読んでくださってありがとうございます。
>鵜飼千代子様
最後4行だけでよかったですか?
最後の4行だけでは、詩にはならないような気もします。
普通の会話というか。
だって単に「先は明るい、がんばろう」なら、特に言う必要が無いというか。
最後の4行だけなら、逆に、もう、(この詩に関しては)何も書かなかったほうが良いかな、と思います。
まったくのゼロのほうが。
と、僕は、思うのですが、鵜飼様は、どういう理由で、最後の4行だけの方が良いのですか?
精進したいので、ぜひ、教えてください。
たぶん、「抽象的な言葉が上滑りしていて、自己満足じゃん」とか、そういう理由なのかな?と僕は推測しているのですが(自分でも、やや、そう言われても仕方ないなぁと思う部分はあるので)。
---2010/06/09 23:07追記---
丁寧な説明、ありがとうございます。
おっしゃていることは、伝わります。
確かに、いくつかの僕がここに投稿して今っている詩は、僕が、出来事について書きたい、でも、書いてどうするんだろう、人に読ませるものだろうか、みたいな葛藤が、自分の中にもあって、それでも結局投稿してしまっている、というのがあります。
ご指摘の通りだと思います。
そういう時、僕は、自分でなかなか判断がつかなくて、「いや、でもこれは、なんとか詩になっているな」と思ってしまう部分があります。
その辺を、もう少し、自分の目を僕は磨くべきかなと、常々思いながら、そのあたりのセンスに、問題があるような気がしています。
ミイラ取りがミイラになっているというのも、かなり一理あると思います。
もうすこし、書こうとする問題からむしろ違う場所に逸脱していけるような、移動感のあるものを書けたらとは思います。
同じ場所から同じ場所に戻っていたら、むなしいですよね。
なんとか、自分なりにもう少し、考えてみます。
ありがとうございます。
---2010/06/12 01:47追記---
インターネットと、詩人の距離は、僕の中で、考えてみて、答えというか、「こうだ」というのが、出てきませんでした。
考えさせていただきたいと思います。
ちょっと脱線しますし、メディア論になってしまいますし、ものすごい長考になりそうですが、紙媒体と電子メディアとの違いは、まだ、答えが出せる時期ではないような気がしています。
ポストヒューマンなんて、本当か?とか、間メディウム?ちょっと違うんじゃねぇ?とか、情報メディア論考の、懐疑的に感じられる思う部分を、ふと、考えてしまいました。
詩人と電子メディアの距離というのは、そこに、深く含まれるような気もします。
>佐和様
いやいや、私は、たぶん見抜けていません。(笑)それか、見れても、それに対する対処がわからないのです。