花/夏嶋 真子
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 吉岡ペペロ 
- ミツバチ 
- ハイドパーク 
花の場合、咲くことがすでに死の始まりなのかなぁ。
ぼんやりそう思いました。
- ルナ 
- 未有花 
- salco 
救われて、萎びた葉が息をついている腕のようです。
- 月乃助 
おおきい
- nonya 
- 小野 一縷 
- ばんざわ くにお 
「輪郭をもたずに花は咲いた」が良いですね。
部屋全体が花になったようです。
- あおば 
- 恋月 ぴの 
- あおい満月 
「輪郭を持たずに
花は咲いた」最後が良いです☆
- 瀬崎 虎彦 
- atsuchan69 
- mizunomadoka 
- 瑠王 
- もも うさぎ 
- Wasabi  
---2010/04/13 09:07追記---

---2010/04/13 09:08追記---
泣きそう
- ぽこぽこへッへ 
- 佐藤真夏 
- 大村 浩一 
- 殿岡秀秋 
- ……とある蛙 
- くろきた 
- 久亜麻ジュン 
- るるりら 
なんて なんて いつくしみのピンクなのでしょう。
- 乱太郎 
- ロリータ℃。 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- AtoZ
倫理を押し出すときには「そのこと」に含羞を感じなければダメですよ。
でないとシンジツが伝わらない。
公園に捨てられた花の枝を拾ってゆく人の心はやさしい。
それはそれを拾ってゆく人が無心だからだ。
つまり沈黙のなかにそのやさしさが守られているからだ。
だけどその気持ちを詩人が対象化するとき、とてもいやらしいものが滲み出る。
倫理的なものを押し出す詩なるものの成否は、それをどう料理するかにかかっている。
しかし、それは詩の技法でどうなるものでもない。
だれかの詩集を読んだからといって変わるものでもない。
この詩から、わたしは語り手のやさしさなど、つゆ感じませんね。
だけど、
「わたしはやさしい」というメッセージはうけとれました。
しかしそんなメッセージなら、もうだれもがどこでも大判振る舞いでやっています。
とくに二連はまるでダメ。

すこしお休みになって、静かに、自分をひっくり返してみてみてはどうですか?

---2010/04/14 08:41追記---

銀色夏生? 恥ずかしながら一度も読んだことなかったので、いま
ネットでちょっと読んで見ました。
あははは。鵜飼さん、いくらなんでも銀色夏生と一緒にしちゃどうかなですよ。
あれはていのいい「お経」ですよ。(ぷっ)
でも、あそこまで流暢なお経なら害はない。聞き流すにはもってこいでしょうが。
夏嶋さんは銀色夏生のような売れっ子になれる要素はじゅうぶんあると思います。
(名前もいいし)
だけどそうするならもっと程度を落さなければ。
それに耐えられるだろうか。

---2010/04/14 08:48追記---
- 鵜飼千代子
好意を持てる詩なのですが、思うところがあって、ポイントを入れずにコメントさ
せていただきます。

少し昔で、読んだことがないかもしれませんが、「銀色夏生」さんのような流通
するかたちを持っていると思います。「わたしはやさしい」はわたしにも見えるの
ですが、それは無垢な少女性で、否定されることではありません。そうした可
愛らしさを護る為に、夫が家庭に閉じ込めるというのもあると思います。外に出
せば損なわれる「希少性」だからです。

詩に「普遍性」を尋ねる時に、無垢だけでは足りません。その為、書き手はこう
した場では、さまざまな刺激で成長を施されます。

「銀色夏生」は、膨大な量の詩を出版社に持ち込んで出版に結びついたと、ど
こかで読みましたが、夏嶋 真子さんは、どうしたいのかな?って考えてみてもい
いかもしれません。

強くなっていくことに自らを進ませるのか、今の感性を殺さない、けれど、身の
回りは奇麗にしないとめんどくさいことになる、そうしたどうでもいいようなこと
を、考えなければいけない時期かなと思います。家族はかわりませんが、友人
関係はかわっていきます。

どちらにしろ、このまま知らないふりをするのは、夏嶋 真子さんにとって、酷なこ
とではないかなと思いコメントします。直ぐに決めなくていいのです。けれど、
「銀色夏生」のように「お金になる」書き手が、本人はそれに気付かず、タダでコ
ミット出来るのであれば、それにこしたことはないと思う仲間は沢山いるでしょ
う。そこまで考えていなくても。

逆に「アイドル」になってしまって自分が切り落とされると感じた友達は、それを
察知した時に、猛然と批判行動に出るかもしれません。いままであんなに大切
にしてくれていたのに。です。

これは、わたしの経験からのお話で、ご指摘があればうかがいます。

夏嶋 真子さんは、ひもつきということもないでしょうから、ご自分で考えて、ま
わりも見渡して、ご自身でどうしたいか決めて、その為の努力をされるのがい
いように、わたしは思います。

---2010/04/14 22:10追記---
添削済みの詩だったんですね。読み飛ばしていたので、普通に書いてすっとだ
された詩だと思っていました。余計な心配してしまいましたね。
同人詩誌では、主宰に添削された詩を掲載するというのはあるだろうなとは
思っています。

---2010/07/20 21:53追記---
「膨大な量の詩を出版社に持ち込んで」ではなく、「歌詞をレコード会社に」持ち
込んだ(送った?)ようです。訂正致します。
 
作者より:

吉田雨さん
コメントありがとうございます。
ほんとに、そうですね。
カメラの目を通したらチューリップがこんな風に変身しました。
花のような蛸 蛸のような花 シュールなイメージだ…。ありがとう。

るるりらさん
コメントありがとうございます。
淡いピンクは心をほどいてくれますよね。
花の色は一刻一刻変化していくので
見つめるたびに一期一会です。ありがとう。




---2010/04/16 18:30追記---

すっかり遅くなりましたが
みなさまのコメントへのお返事です。


ハイドパークさん
コメントいつもありがとう。
写真の光と影が生と死の暗喩のつもりなんです。
なんとなく、ひらめきで感じ取ってもらえたらなって思っていたので
すごくうれしいです。


salcoさん
コメントありがとうございます。
腕はくたくたのへなへなでした。それだけによく咲いてくれたなと
よろこびもひとしおでした。 


月乃さん
コメントありがとうございます。
大きな花でした、花の中では人はアトムの大きさかも。

竹中えんさん
コメントありがとうございます。
そこまで深く読んでいただけると、うれしいやら、はずかしいやら。
作者の力量以上のものを澄んだ感性で感じ取っていただけたようで・・・ほんとに恐縮です
これ以上のものを書けるようにがんばります!


それからこの詩からイメージして素敵な作品を書いてくださってありがとうございました。

竹中えんさん 花
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=208077&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D210



ばんざわくにおさん あおい満月さん

コメントありがとうございます。
最終連は何度も書き直しました。
チューリップにつつまれるイメージとひろがってゆくイメージ。
花のもってる空気が文字や写真で少しでもお伝えできたのならうれしいです


十田心太さん
コメントありがとうございます。
わたし、だいじなことを忘れそうになっていました。
光の加減や角度を変えながら写真をとり花と対話していたとき
ほんとうに楽しかったです。
それを詩で表現するのは難しくて苦しいけど、でもやっぱり詩が好きで楽しくて書いてます。
十田さまが追記してくれたこと、うつむいていた心に花が咲いたみたいです。ありがとう!

野の花ほかけさん
コメントありがとうございます。
写真は、やわらかな日の光でとりたくて天気の関係で数日にわたり時間をかけました。
これから花の季節です。今年も花の携帯写真詩を書いていこう思います。(晴れの屋外では液晶が見えないので難しいんですが、がんばりたいです) 


レモン工房さん
コメントありがとうございます。
そういわれると、
こちらが泣きそうです・・・。ありがとう!




みなさん、ありがとうございます。


 


****************************************


まだ花の色もわからぬうちに折れてしまったくたくたのつぼみに
水をやり光を当てて3日、きれいに咲いてくれた。
とてもうれしかった。
抑えることによって開くもの、抑えることによって押さえられるもの、
そういうことを意識したら、詩を完成させるまで苦しかった。
きっと咲くことは苦しいのだろうな、それで優しいのかな、なんて。


---2010/04/13 20:09追記---



花は風に折られたときにすでに
自己の運命を受け入れているのだと思います。
瀕死の花に感傷を向け、それを持ち帰り活けるという行為を自身では独善的に感じています。
ですが花は何も否定せず咲いてくれました。
写真詩なので花自身によって語られる言葉を大切にしたつもりですが
「わたしはやさしい」という風に読めるというご感想は
私の至らない点を端的に示す一言だと受け止めております。
非常に参考になりました。


花を花の形象として詩に。
そのためにこれからも学んでいくつもりです。


ありがとう。


---2010/04/15 06:50追記---


生意気をいうようで心苦しいのですが、
作者なりに思うところがありますので。


銀色夏生さんは、自身のスタイルを確立し多くの読者をもち、
多くの感動を世の中に送り出してきた詩人です。
私などと比べられる方ではないです。
このような形で引き合いに出されるのは、銀色夏生さんと読者の方に申し訳なく胸が痛みます。


添削というのとは少し違うと思います。
わたしは自作の推敲を他の方に委ねたつもりはありません。
助詞の一文字、言葉の一言、推敲をくりかえしました。
花を形容した一行がどうしても上手くいかずに
削除しようか考えていたときに
「削除した方がいいのでは?」というアドバイスを頂き
意見の合致に納得できたので投稿したという経緯はあります。

ひもつき、という言葉に私のちっぽけな矜持がざわめきました。
詩に限らず自分の足で歩いてきたという自負はあるのです。
でも一人ではなかった、
大勢の方に支えられてきたことに本当に感謝しています。

純粋に詩を学びたい、自分の詩のスタイルをみつけたい
それ以上の願いは持っていませんが
おっしゃるとおり将来的なヴィジョンを明確にするのは大切ですし、
書き続けてゆけば詩作ではなく人間関係について
思い悩むこともあるのかもしれません。
頂いたアドバイスから学ぶべきことは多そうです。

ゆっくり詩の方向性を探っていきたいとおもいます。
夏嶋真子に対する客観的なご意見を聞けたことはたいへん貴重な経験でした。
深く感謝しています。

ありがとうございます。



---2010/04/15 10:27追記---

>花の命のありかがわからなくて
>こわごわ抱いて家に帰る


問題になっている2連

花の命のありかというのは、純粋な疑問から発露したものです。
動物には、死の瞬間が明確に思えるのですが
植物にとって、いったいどこに生と死の境界があるのか
萎れたつぼみは生として咲くのだろうか
咲けぬまま細胞の死を連鎖していくことは死なのだろうか、生なのだろうか
見届けたい

そのような疑問と不安の感情から自然と湧いた連なのですが
あまり意味を限定させずに書きたかった。


読む方にとってどのように映るのか、
どうしてそのように映るのか
非常に勉強になりました。未熟な部分を痛感しています。
得たものは大きいので、今後生かしていければと思います。




読んでくださったみなさん、
コメントくださったみなさん、

ありがとう



花は土に還しました。



---2010/04/16 18:50追記---(時系列がばらばらですが、一番上に皆様へのコメントを追記しました^^)


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