作者より:
山下OK踊ろう 様、祐緋 様、小野 一縷 様、プル式 様、sadame2 様、野の花ほかけ 様、……とある蛙 様、御陵原 萌美 様。評価してくださってありがとうございます。
>山下OK踊ろう 様
コメントありがとうございます。大変にありがたいご意見です。うれしいです。僕も、だいたい中立的な立場に立つとことが多くて、友人からいつも「チキン」とか「弱腰」とか揶揄されます。(笑)それで、「う〜ん、でも、上手く言えないだけで、『中立でいたい』と思ってる人って実は結構いるんじゃないの?」と思うことが良くあります。そういう、中立者の意見って、上手く言語化することが難しいですよね。何か、いい方法はないか、といつも思います。なかなか声にならない「中間者の声」が、聴こえる形になればな、と良く思います。そのためには、もう、中間にいることをむしろ堂々と言明したほうがいいんじゃないのか、と、ここ1年ほど、僕は考えています。
ちなみに、余談ですが、ジャズの世界では、中間派ってのは、ある意味、スィングやってる連中以上に保守です。(笑)
>祐緋 様
コメントありがとうございます。そういっていただけるとうれしいです。
>小野 一縷 様
コメントありがとうございます。読みやすかったら、何よりです。僕自身、あんまり精密な文章を精読できる性格ではないので、自分基準に書いてます。(笑)
>プル式 様
コメントありがとうございます。今回の文章は、プル式様と御陵原萌美様の投稿にコメントを書いているうちに、自分の投稿としてもひとつ書きたくなって、書きました。この文が成立したのは、ある意味、お二人のおかげです。プル式様が、「それは差別用語だ!」と糾弾なさっているわけではないことは承知の上で書いたのですが、プル式様がこの文章を読んで、気分を悪くされないかちょっと心配だったので、こうしてコメントをいただけて、ほっとしました。ありがとうございます。
>sadame2 様
コメントありがとうございます。身に余るお言葉をいただいてしまっているような気がいたします。考察というほどのものではありませんよ(笑)。もう、ほとんど、感想文のようなものです。ペーソスがございましたか?そういっていただけるとうれしいです。ありがたいお言葉をありがとうございます。
>……とある蛙 様
コメントありがとうございます。いいお話ですね。地域コミュニティが、いい機能を果たしていたのですね。僕が住んでいるあたりは、わりと個人主義というか、お隣同士でもあんまり行き来はないのですが、同じ市でも、町会ごとに、かなり雰囲気が違います。地域のみんなが、いい具合に仲良くかかわっていけたらいいな、と思います。
>御陵原 萌美 様
コメントありがとうございます。なかなか難しいところだと思います。行き過ぎると言論狩りになりますが、ある程度までなら、まぁ、正義感で片付きもしますよね。糾弾者の想いにもよると思います。本当に、それが世の中を良くする行為なのだ、と思ってやっている人には、あんまり強く非難するのも悪いような気もします。こちらが非難すると、それはそれで、こちらによる糾弾になり、同じ行為の演者の交代に過ぎませんから。もちろん、言論狩りとまで言わなくとも、行き過ぎた正義感だ、と言うことも間違いではありませんし、どのように対応するのかは、微妙なラインのような気がします。とりあえず、いろんな人がいるということで、あまりお互いにめくじらを立てすぎず放置するのがいい結果を生むような気がなんとなくします。
---2010/04/10 02:27追記---
灰色 様。評価してくださってありがとうございます。
---2010/04/10 02:37追記---
北村 守通 様、仲 仲治 様、いとう 様、音樂めぐみ 様、虹村 凌 様、たま 様。評価してくださってありがとうございます。
>仲 仲治 様
コメントありがとうございます。ご同意いただけてうれしいです。
>AtoZ 様
鋭いご指摘をありがとうございます。
本当のところ、まさにAtoZ様がご指摘なさったようなご指摘が、わりとたくさんの方々から喧々囂々と起こりうる可能性もあると思っていました。
ですから、本文に「怒る人は怒るだろうなぁ」と書きました。
意に反して、好意的に評価してくださった方々が多く、僕としては、ある意味ほっとしています(怒られるが好きなわけではないですから)。
AtoZ様の仰るとおり、サロン的というのはちょっと高級すぎますが、僕の書いた文は、井戸端会議レベルに過ぎません。
本文にも書きましたが、僕が今回の雑記を書いた意図はいくつかありまして、まず第一に、何人かの方の散文を読んで、天王寺区のことを思い出し、懐かしくなったこと。
他には、自分の無意識がどのような差別意識を表出するのか、見てみたかったこと。
あと、中間的意識を持つ層がいて問題ないんじゃないのかというか、という意識を提示したかったこと、などがあります(あと一つぐらい理由がありますが)。
そしてそれらの意図は、ご存知の通り、要するにすべて、完全に僕のエゴです。
AtoZ様のご指摘は非常に正しく、僕は、ホームレスについて語りはしましたが、別段ホームレスをどうこうするために語ったのではありません。
僕の関心は、自分自身と、あとはホームレスではない人々の意識の方向に、向いていました。
それを理解した上で、投稿したかったから投稿しました(これもエゴです)。
ですから、AtoZ様のご指摘に対しては、ちょっと申し訳ない気持ちもあります。
例えば、実際にホームレスをしている人からすれば、僕のように噂話的な会話は、気に障るかもしれません。
「お前に何がわかる。そんな程度のことなら、語るな」といわれれば、「そうだなぁ」と思います。
でも一方で、「井戸端会議的な投稿が出てくることも、仕方がないんじゃないのか」とも思います。
僕たちは、人間ですから、他人の心のことを、どこまでも完全に配慮するということは、不可能です。
ですから、とりあえず井戸端会議ぐらい、いいじゃないか、というのが、僕が本文を書きながら考えていたことでもあります。
で、井戸端会議的な言説に、意味があるのかどうかですが、僕は、意味はあるんじゃないかなー、と思います。
もちろん、確信や確証や論証があるわけではありません。
ただ単に、あるテーマに沿って、その周辺でもいいから、いろいろとみんなで語ってみる、という行為は、大きな答えが出てくることはあまりないかもしれませんが、何か、少しだけ動くような気がします。
その動きが、どこに向かうかはわかりませんが、緩やかに何か、流動するような気がするので、意味がないことはないと思います。
僕がそう思うのは、学生時代、ゼミで、難しいフランス語の文献ばかりディスカッションしていました(僕は馬鹿なので、ほとんど理解できませんでした)。
でも、そればかりやっていても、なかなかワンステップ飛び越えることが出来ませんでした。
そんな、煮詰まってきた折に、何気ない、問題意識からちょっとはなれた世間話をしていると、ふっと、視点が移動して、なんだか次のディスカッションで、いい意見が出てくるということが、良くありました。
その頃の、実感として、「井戸端会議ってのは、それ自体は無意味なことも多いけど、意外にいい踏み台になるよ」と思っているのです。
だから、何かの踏み台になるかな、と思って、投稿した側面もあります(本文に、「何かの参考にドゾ」と書いてあるのは、そういうことです)。
最後に。
僕の本文が支離滅裂なのは、どうかお許しください。
もともと、雑文というか、ちょっとした思い出話のつもりで書きましたし、焦点のフォーカスを強く絞って書いたものではないのです(その問題意識の低さが、癇に障られたのかもしれませんが)。
どちらかといえば、フォーカスを緩めることを意図して書いてあります。
だからわざと、構成もまったく考えず、ポツリポツリとつぶやいてる感覚で書きました。
ご指摘の通り、生成からして支離滅裂なのです。(笑)
あと、どうにも僕は、整理整頓が苦手な性格ですし(それを理由に、精密な文章を書くことから逃げるようでは、ダメといえばダメなのですけれど)。
今回は、僕の立場では、資料集めをして精密に、というのは、ちょっと違うな、と思って、こういう立ち位置になっています。
---2010/04/11 05:02追記---
---2010/04/11 11:09追記---