「かなしさはかなしみのなかにあるのではなくよろこびのなかにある / 仲 仲治」を読んでの感想文/鵜飼千代子
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 吉岡ペペロ 
- 北村 守通 
- ハイドパーク 
「悪い意味でいうことは何も無いです。」
なんて素敵な言葉でしょうか。
トンカチで殴られたみたいに、涙が出ました。
- 真島正人 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- るるりら
みずたまりをつくりたいとねがう は、私は こころに ひびきました。かなしみはほんとうにかなしいと言葉になるものやっとで 言葉にすることを 願わなずにはいられないリアルがあると感じました。


---2010/05/27 21:29追記---
後から書き込みしない方が良かったかもしれないのですか?
なんだか よく解らない世界です。消すのもなんなので、不慣れゆえの失礼があるかもしれないことを メールしておこうと思いました。ありがとうございます。
 
作者より:
ポイントいただきありがとうございます。



野の花ほかけさん
ポイントとこめんとありがとうございます。^^
2chに書き込みをしたことはないですし、今後もしませんが、
2chの存在を否定するものではありません。
これで答えになったでしょうか?

---2010/03/19 14:39追記---
そうお考えになったら、ご自分はそのようにすればいいことだと思いますよ。
ここで何を言っても、やる人はやるでしょうし、自分で自分の名前を出している人もいるかもしれません。わたしは削除依頼はしていないのですがいつのまにか消えたようですが、自分のことを書かれたら削除依頼するのもひとつの手段ではないかなと思います。(なかなか削除されないようですが。)
けれど、2CHを監視していたら他のことが手につかなくなってしまうなぁと思います。
それも、書く人の計算のうちかもしれません。2CHに書く人は、そんなに素朴ではないと思いますよ。

ハイドパークさん 
>「悪い意味でいうことは何も無いです。」
> なんて素敵な言葉でしょうか。
> トンカチで殴られたみたいに、涙が出ました。


ハイドパークさん、ポイントとコメントありがとうございます。
わたしは、何を言われても泣かないで(笑)帰ってくるつもりで出掛けているのですが、驚きました。
その詩の内容は、わたしやわたしを取り巻く景色に重ねることが、『自分には出来る』ものごとを、揶揄しコテンパンにしたような詩でした。(詩自体を再読できないので、記憶が膨らんでいるかもしれません。)むしろ今なら、一色さんの言葉に「スカッとしました」と言えるのではないかと思うのですが、そのときのわたしは、そういう詩をたくさん読んできたし、「これは詩でしょう」と思ったので、驚いたのです。「悪い意味でいうことは何も無いです。」には、「これは、あなたのBESTではないでしょう?」という意味も含まれているのだと思います。また、そういう詩を好む場所に持って行けば、技巧の面では問題がないですから、「よくぞ書いてくれた!」と絶賛される可能性もあるなと、思ったのです。

>仲 仲治 さん

どうもです。(笑)

「きえりんこ」の前に書いた散文の為に、言ってみれば即興で書かれた詩だと思うので、仲さんがよく出ているのだと思います。写真は撮ってしまったら、後から3D的な移動は出来ないですが、詩はそうしたことが出来るから、妙味であり、つまらなさなのかもしれないなって思います。

わたしがはじめて批評、感想をもらうことが出来る場所に詩を発表したのは、NIFTYSERVE FCVERSE(現代詩フォーラム)なのですが、1997年4月末入会当時30歳でした。「かなしさはかなしみのなかにあるのではなくよろこびのなかにある」のような詩を書きたいと思って、「隣の芝生」という詩を書いてみたり、じたばたしていました。中1から友達と詩の交換ノートをしたり、高校時代同人詩誌を作ったり、その後は書いたり書かなかったりで、詩歴としては17年くらいという頃のお話です。

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|        隣の 芝生  /  萌木 碧水


|        隣の芝生の 青さに
|        なぜ 人はこうも
|        焦がれるのだろう

|        我が家の芝生が
|        枯れていくのに


「隣の芝生は青く見える」という言葉があるけれど、そのまんますぎる
と思う。もっと手を加えて魅力的な詩にしてほしい。
(NIFTYSERVE FCVERSE 『つひに断行!「今月のはてな印」/片野晃司』97/05/31 13:26より引用)

困りますよね。(笑)本人は、全くふざけていないのですが。
この時のアドバイスを参考に別の作品を書いて、下のような自解をしています。

  まず、「隣の芝生」ですが短くてもきちんと自己主張する詩を
  書きたくて、試行錯誤していた時期に書いたものです。
   「隣の芝生は青い」にからめて、自らの抱えているものをきちん
  と見つめてなくてよそ見をしていると、自分の財産さえ手からこぼ
  れ落ちると言うことが書きたかったのですが、この作品は、しくじ
  りました。
(NIFTYSERVE FCVERSE『「隣の芝生」からの道/萌木碧水』97/07/04 16:58より引用)

しくじりましたと書いていますが、本当にはしくじったとは思っていなかったですね。いっぱいいっぱいで書いていると、否定的な意見はストンと落ちて沁みわたっていくようにはならないようです。沁みわたるようなことも書かれていませんが。(笑)今読むとやっぱり「そのまんまだなぁ。わたしの新しい発見はささやかすぎて、というより、「隣の芝生は青い」をきちんと受け止めました。という主張にしかなっていなくて、自分の詩として現れていない」、と知る訳です。片野さんも、力が入りすぎていて「つひに断行!」なんてタイトルにつけるから、びっくりしてしまうわけですが。「つひに」って、なに?って。(笑)



「きえりんこ」での引用部分、元発言が退会前に消される予定だというのは(その時は書き込みを読む限り、そうした考えがあるということは他者が知りうるところではありませんでしたが。)、自分のコメント欄なので書きますが、わたしは引用した詩の「著作権上の問題」なのではないかなと思ったのです。仲さんの「きえりんこ」中の引用部分を誰が言ったのかということについて、引用されたフォーラム参加者から名前の削除依頼があったので、仲さんは応じられましたが、仲さんの散文がガタガタになっただけでなく、佐古さんにとって嬉しいことだったのかなぁ、とは思います。引用されていた詩の佐古さんも左子さんも、詩の出版社「竹林館」と縁の深い方なのかなと思っていて、引用された方はそうしたおつきあいがあるのかなとは思ったのですが、佐古さんの名前を外してしまうと、1997年にニフティーの現代詩フォーラムで、こちらにも参加している大村浩一さんが書いた内容をほんの少しだけリメイクしたように読めてしまうし、13年前の大村さんの信者なのか?と誤解されかねないなぁとも思いながら、でも、ご本人の希望だからご自分で背負うんだろうなぁと思う訳です。求めるのであれば、名指しはやめてくれではなく、佐古さんの発言の引用だとわかりやすく記載してくれと、言わなければいけなかったのではないかなと思います。大切なら。引用された方は退会される予定ですが、わたしは退会しなければいいなぁとは思ってコメント欄にも書いているのですが、退会してしまえば本人の作品だけでなく、他の方につけたコメント欄の書き込みも消えてしまいますから、ますます何がなんだかわからなくなります。残されたものは、本文も、コメント欄も書き直しが出来ますし。随分と酷い話だなぁと思うのです。

「かなしさはかなしみのなかにあるのではなくよろこびのなかにある」は、つまらない詩ではないと思います。有名どころでは、谷川俊太郎さんの詩が好きな人は、「お?」っと思うと思います。現在こちらのフォーラムにはあまりいないかもしれませんが。

既出の「あらわれている」からの流れで、即興詩であっても、行がえした散文ではない詩になったのだと思います。わたしは、こういう詩が書きたいなぁと思いながら、散文ではなく、メンドクサイ詩をたくさん書いています。こういう詩はぼこぼこ量産できるものではないと思うので、大切にして、この先も、何度も取り出して愛でていただきたいと思います。わたしが伝えたかったことが、仲さんにちゃんと受け止めてもらえたようでほっとしました。^^

> 鵜飼さんの散文と、プロフィールにあるいろいろな写真は、通じているところがあるな、という感じで、
>写真は、あれは文字の配置がちょっとな、というところはあると思います、デザインセンスはあるとはいえ
>ない、でも、僕の好きな写真です。


写真も見ていただきありがとうございます。詩についても同様のことを言われるので、そこに「鵜飼千代子」がいるのかもしれません。「きえりんこ」についたコメントのようなゴタがわたしの詩友にあった時に(今回の鏡面のようなケースでしたが)、かなしかったのですが、わたしはみずたまりではなく、「灯」になりたかったのかな、こんな詩を書きました。みずたまりはその後だったな。

  にこにこ / 萌木碧水

 年とってしわしわになったら
 おんなじだけ こころの笑いじわ
 できているといいな

 どんなことも包みこんで
 ぽかぽかしていられたら
 いつでも にこにこ しちゃいそう

1997.08.14.初出 FCVERSE 旧 FPOEM
改稿 1999.10.12.

写真を添えるともっと伝わりやすいかなと思って、以前HPに写真と共に掲載していたのですが、その画像が↓です。写真はF3で撮ってプリントしたものをスキャナで取り込んでいますが、自分でももどかしいものがあるので、仲さんが見ると、あらら〜とということになっていると思います。ガラスに景色が映り込んでいるのは写真を撮る上で失敗したのですが、この詩につける写真としてはそれも味になるかなとこの写真にしました。
http://homepage.mac.com/tmoegi/2003/00-soratouta/nikoniko0.jpg

こういう話が出来て楽しかったです。ありがとうございます。^^


---2010/05/27 14:18追記---
るるりらさん
>みずたまりをつくりたいとねがう は、私は こころに ひびきました。かなしみはほんとうにかなしいと言葉になるものやっとで 言葉にすることを 願わなずにはいられないリアルがあると感じました。

作者も喜ぶでしょう。^^ この散文の発端になった散文ですが、あれは、本文は少々、他者が付けたコメント欄は散々修正されているから、後から書き込みしない方が良かったかもしれませんね。
コメントいただきありがとうございます。

---2010/05/27 21:59追記---
>後から書き込みしない方が良かったかもしれないのですか?
>なんだか よく解らない世界です。消すのもなんなので、不慣れゆえの失礼があるかもしれないことを 
>メールしておこうと思いました。ありがとうございます。

メールには返信しない主義のようなので、そのままでいいかも。
わたしも、詩や写真のことでリアルに関わりたいなと思ってメールしましたが新しい散文がupされても
一週間以上開封されませんでした、ので削除しました。バーチャルの世界で書きたい人なのかもしれな
いです。中身がクリアならむしろバーチャルで(犯罪であれば直ぐに足がつきますが)という人もいますし、
一連の散文に関わった人から見たら不可思議かもしれませんが、メールはしなくていいのではないでしょ
うか。ずっと思っていたことがあって、 やっといま言えましたというのなら、関わって、今いる人たちは、今
一度向き合うこともそれぞれの価値観で考えなければいけないのかなと思いますが、後の散文で、作者
の散文にポイントコメント入れる時の注意事項なども書かれているので、メールするとかえって、産毛を
逆立てることになるかもしれませんね。それも狙っているのなら別なのですが。メンドクサイスレッドはいっ
たんクローズしちゃった方がいいのかもしれません。そのままにしたら、いかようにも書き換えられるし、後
からのコメントで、当初治まったものが再燃することもありますから。

---2010/05/27 22:21追記---
わたしがダシだっただけかもしれないので、るるりらさんはメールしてみたければしてみてくださいね。
るるりらさんの意志を妨げようとする意図でコメントしたものではありません。自分が名指しで呼び出され
て何か書いたのに、メールでの関わりを持たない人は普通にいるのだなと、自分だけ無視されたのでは
ないのだと思っていただければと思い、わたしの逆引きレスに書いておきます。誰だからということでなく。
---2014/11/10 04:29追記---

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