「青」 — ツナ氏へ —/まどろむ海月
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- りょう 
僕は空の深いところにある、
黒味がかった青が好きです。
登山家が言うには、
高い山に登るほど、
その黒は濃くなるそうです。
普段見えているものよりも深いところを見ようとすると、
感覚と愛が確かに必要なのだと思います。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
-
(あわわ。返詩ありがとうございます!ほとんど荒らしにちかいあのコメントはもう少し時間を置いて推敲すればよかったとおもいましたが、、あれはあのままで。)
 
作者より:
「現象学的還元」に寄せられた、ツナさんのコメントへの返詩です。
---2010/01/30 13:05追記---

読んでいただき、ありがとうございました。

石川敬大(吟醸並)さん、祐緋(吟醸並)さん、りょうさん、ツナさん、ありがとうございます。

カントの時代なら、知的認識ができる理性的存在である人間は、神に最も近い上位の存在なのだと考えたでしょう。その時代よりもさらに頭でっかちになってしまった現代に生きる私は、重点の置き方を180度転換して、身体性や感覚や感情の存在自体の、つまり生自体の、ありふれた日常の土台そのものの、無限の深さと重さを、(このような散文による理性的な表現ではなく、生の総合的な力を反映しうる詩的な表現によって、何とかして直接的に)わかりやすく表現したいのです。知よりも認識よりも深いそれの存在ゆえに、知や認識力の別の視点からの深さも見えてくると。
 詩作に身命を尽くすとか、仕事のために過労死するとか、何事についてもヒエラルキーをつけたがる傾向とか、そういうことのくだらなさも自然にはっきりと見えてくるはずだとも思っています。ツナさんがコメントしている「青」は、くだらないことに振り回されざるを得ない状況の中で、それらを根底から覆すような根源的な深さをもって、目に飛び込んでくるわけです。



---2010/01/31 21:31追記---

ツナさん、「こっそりとこめんと」だったのに、詩のネタにまでしてしまってごめんなさい。でも、あなたのコメントの方が、感覚というものの根本的なインパクトをより衝撃的に表現できた詩になっていると思います。ぜひ、正式に発表してください。




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