国防…?/aokage
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ……とある蛙 
あなたは完全に正しいのだけれども、いざとなったら持論を維持して戦えるのかということが問題なのです。思っているだけで平和は維持できません。平和を維持するシステムが必要なことは間違いありません。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 虹村 凌
戦争も無しにやっていけたら、戦わずに生きて行けたら、楽だし良いだろう。
でも生きる事の本質とは、争い殺し合い奪う会う事なのだから、
そこはどうしようもないだろう、と俺は考えている。
生きる事は他の生命体の命を奪う事だ。
今日も日本で2000人が死んでいる。
だから俺たちは死なずに生きて行けている。そう思っている。

民族、宗教、その国境がある限り世界平和なんてありえないのだ。
しかし、戦争を知らない俺でも、出来ることなら戦争なんざ避けて欲しいと言う思いはある。
ただ、俺は俺の愛する人間達を傷つけられても、そう言ってられる自信は無い。
(無論俺は、死刑廃止等もっての他、終身刑の復活を望む考えである)
民族全体の誇りを穢されても、耐えていられる自信は無い。
(ジャップ呼ばわりされ、小日本と呼ばれても笑えるような心の広さは無い)
そして何より、誰も守ってくれないから、自分で自分を守らなきゃいけない。
立っているだけでは、耐えているだけでは自分は守れない。
核を持つ云々に関しては俺も疑問を持つが、ある程度の武装はするべきだ。
俺はそう思っている。

核爆弾を落とした国の偉い奴が、ノーベル平和賞を貰ったんだってさ。
長崎も広島も、一度だって貰った事が無いのにね。
もしもその偉い奴が、ノーベル平和賞の無価値を叫んで辞退すれば、
世界はもうちょっと変わるかもしれないと期待してたけど、やらなかったね。
- 相田 九龍
久しぶりにこんな意見を聞いた。

前、同じことを言ってました。
 
作者より:
まだまだ未熟者ですみません。頑張って色々学んでいきたいです。

お読み下さり、ありがとうございます。


……とある蛙さん
私は私自身の意見が完全に正しいとは思っていません。
死の恐怖に直面した事もないし、そもそも情報量が圧倒的に足りていない。

でも今の世界情勢で防御力を放棄する事は、国を捨てる事に近しい状況になってしまうとは理解しています。
何時しか、世界中の人々がお互いの関係性を築く時武器を必要としない、そんな世界が訪れる事を願います。

その為にも尽力していかなくてはと、思っています。

コメント、とてもためになりました。
ありがとうございました^^


夜桜 ナオさん
ありがとうございます^^


竹中 えんさん
「日ノ本の国」はもともと「大いなる和の国」だったと思うのですが、違いますかね?
「和やか」と「穏やか」って、私には同じ意味合いの言葉に感じられます…
もし違ったらすみません。もっと日本語が理解出来るようにならねば^^;
コメント、ありがとうございました!



askfortigerさん
ご指導、ありがとうございます。
もちろん核武装論者や九条改正論者が「戦争賛美者」だとは思っておりません。
「……とある蛙」さんへのコメントを読んで頂ければ、私が今の社会では武装解除するべきでない、それは国際社会の上で「国」としての形を放棄する事だと考えていることを理解して頂けるかと思います。
つまり、私自身も「防衛手段」を取り払う事には強い抵抗があるのです。

それと話が別になってしまうかもしれませんが、私は自衛隊応援者です。
彼らの働きは、尊敬に値するものだと思っております。

しかし、この文章をよく練りもせず投稿してしまったのは早計であったかもしれません。
未だ語彙も自分の気持ちも上手くコントロール出来ないくせに生言ってて、そのせいで不快な思いをさせてしまったのならすみません。
人の気持ちも、自分の気持ちも、上手く理解出来るように頑張って生きたいです。

先制攻撃と言われると困ってしまうのですが、「世の中にはこんな考えを持ってる莫迦な人間もいるんだ」くらいで受け取っていただけると有り難いです。
柔道も剣道も弓道や射撃だって、精神の鍛錬をするにはうってつけだし、極限まで磨き上げられた技はとても美しいものだと思っておりますよ。

ただ私がこれだけ言いたいのは、

私の中には「戦争反対」を唱えるものも「戦争賛美者」もいるのだということ。

相反する気持ちを持ちながら、私は生きています。
どっちの気持ちも、もちろん他の人の気持ちも、少しずつ理解していくつもりです。

未熟で拙い文章をお読み頂き、本当に有り難うございます。
熱いコメント、ありがとうございました!!




虹村 凌さん
同上になってしまうのですが、やはり「防御力」を放棄する事は「国としての形」を失う事になってしまうと思うのです。
私も身近な人間が無残に殺されたなら同じ事を言っている自信はありませんし、なんといっても「私自身」が矛盾の塊のような生き物ですから、この文章は私の「一部分」だとでも思って頂ければ幸いです。

「ヒト」として考えるのと、「人間」として考えるのとは全くの別物だと感じます。
が、それは「今現在の私の考え」であって、これからたくさんの事を学び・知っていけば意見も変わってくるものだとご理解頂きたいです。

でも人は互いの「言葉」を理解し、認め合う事の出来る生き物だと思えば、いずれは傷付け合う必要の無い世界になるのではという希望も生まれてきてしまうのですよね。

何百年、何千年と掛かってしまう事かもしれませんがそんな世界が訪れることを願いますし、努力もしようと思っております。

まずは、「自分の心の器」を大きくするところから、取り掛かるべきですかね。


コメント頂き、ありがとうございました^^



相田 九龍さん
人の気持ちなんて直ぐ移り変わってしまうものですから、これは私の「一時的な意見」という事なのですよね。
もっとたくさんの事を学んで、色んな感じ方や考え方を吸収していけたらと思います。

コメントありがとうございました^^

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