作者より:
2009年9月13日に開催された奥主さんの詩集の批評会に備えての意味も含め、書いた
ものです。
竹中えんさん、北村守通さん、批評人さん、白糸雅樹さん、
相田九龍さん、オーカバさん、《81》柴田望さん、MARINOさん、
Xiaoさん
コメントやポイントを下さりありがとうございます。
>>批評人さん
まことにそう思います。かつての東西問題は南北問題になり、さらに国内の問題にも
なっている。本質的に国民の為にある国というのが、今の世界にはない。
そして戦後の日本が世界平和にほんとうに貢献できたのか。けっこう疑問に思えます。
>>MARINOさん
起きたことはひとつであっても、被害と加害の立場で見解は早くも2つに分かれます。
それに政治やら何やらの様々な思惑が絡めば、事実は際限もなく歪められて伝えられ
ていくでしょう。
但し人の手で歪められたものなら、それを戻す手立てもあるのでは、と私は思うので
す。それは歪めたのと同種の力ではなくて(それでは問題は何も解決出来てない)、そ
れとは全く別の、一生命体の視点から、屈折させられるのを前提としてなお放射し吸収
されるような、そうした探究や思考なのではないかと思っています。
この詩集は、そういうものとして立ったものの到達点だと私は思う。
>>Xiaoさん
そうですかYou tubeにあるのか。検索して聞いてみよう。
ぜひ詩集も読んでみて下さい。
戦争は始まっていて、ただ単にいま殆どの日本人が激しい戦闘には巻き込まれ
ずに済んでいる。銃を撃つだけが戦争ではないし、そういう戦争には日本は随分
と加担している。この加担が、いつ銃そのものになってもおかしくはない。
経済競争ばかりが助長されて、大きな視野で世界を構想し推進できる人が居な
くなってきた気がします。自分の事ばっかり考えて、どーするのだろう。
---2010/07/30 22:18追記---