ウエノポエトリカンジャムと詩について 1/馬野ミキ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- mizu K 
- 北村 守通 
- 松岡宮 
お疲れ様でした・・・・ってずいぶん前になるんですね。すごい懐かしいです。
バックトラックについて、わたしは使用を希望しましたが、ここに書いてある理由で使わないということで了解しました。ポエトリーとして、静寂に耳を澄ませる意義も納得できます・・・・ですが、わたしの前に登場したアントニオ小猪木さんがバックトラックを使っているのをみて、わたしと小猪木さんというのはそんなにジャンルが違うのだろうか?と疑問に思いました。利用が許されるのと許されない人の違いって何だろう・・・と・・・・。わたしもポエトリーの人だと一応は分類されることもあるのですが、パフォーマンスのジャンルというのは綺麗に分けられないのではないかなあ・・・というふうにずっと考え続けています。
- いとう 
- ふるる 
ガイドブックが立派なのに無料というのでびっくりしました。
私の中では、詩学とウエノポエトリカンジャム3に出会ったことは大きな収穫でした。つまり、詩=難解だと思っていたのですが「これもいいんだな、あれもいいんだな」と体験として分かったことです。
- モリマサ公 
- とうどうせいら 
- あおば 
- 木棚環樹 
- 直方体オレンジ 
- 瀬崎 虎彦 
- soft_machine 
- nemaru 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ピクルス
馬野さん、お久しぶり、です。「vs」や「or」ではなくて、「and」や「plus」にしようとする、そんな発想と実践は、まだまだ必要な気はします。その為にも、こうした「記憶」と「記録」と「楽屋オチ」が公開される事は歓迎したいですね。勉強にもなりますし、引き続き楽しみにしております。
ピクルス拝
- pur/cran
「詩の内部にいる」
 って?
---2009/06/05 18:46追記---
 
作者より:
松岡宮さん
皆さんへ

ご無沙汰しています。
まず、自分の記憶では
ぼくの指揮により誰はバックトラック無し
誰はバックトラック有りと
した覚えはないです。
もしかすると、そこに突発的な要因があったのかもしれません。
〔例えば小猪木さんとの打ち合わせ不足といったような〕
ですが統括的な責任はぼくにありますので
イベントのすべての不手際に関しては
ただぼくがいたらなかった、そこまで多くのことを把握し
みなが納得するようなイベントが出来るには
ぼくの頭がわるかったというよりありません。
ですから
ぼくに誰かの
利用を許す、
許さないというような権力はなかったと思います。
ジャンル云々という差別もしていないつもりです。
どちらかというとさまざまなジャンル?の人たちを呼ぶことによって
その垣根を壊そうという意識があったと思います。

ウエノポエトリカンジャム3以降、
ぼくは自主的に朗読会を主催していません。
情熱と強引さがある人の手伝いをするぐらいです。
定期朗読会も閉じました。
ぼくの世界に対する認識力に自信がなくなったからです。
ぼくは世界やあるいは詩の世界についてわかっていないのかも知れないですね。
もっとうまくやれる人がいたらその人がやればいいと思っています。
その人が、俺は腹を斬るからお前もついてきてくれといわれれば
ぼくはたぶん手伝うと思います。






Home
コメント更新ログ