ちりのなかで/世古 和希
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ヨルノテガム 
あ どうも はじめまして
単純に僕は 面白い良い言葉の連なりで
あるなぁ と思いましたよ
詩的であるなぁ と。
最後に色々書いているけど
それはそのまま逆説を含んでいるのではないかな

これは消えてなくなってはいけなくて
純粋なコミュニケーションであり宛先不明ではない
誰かに届くという希望の中で自分は生きてゆく
それが今まさに始まりなのである

思いを書き記し、拙いかもしれない発想の
連結のなかに自身の広がり見つめることは
他者にとっても 楽し面白いものです
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- イダヅカマコト
>こうした語りは、発されたとたんに消えてなくなればいい。
>それができなかったのは、これが純粋なコミュニケーション言語ではなかったということ、だから、宛先不明のまま遠いどこかをさまよったままであること、その点に尽きる。この点において、もはや唯一ある誰かのもとへも届かないというこの絶望のなかで、みずから消失してしまうのが、一番うつくしい最期だったはずなのにである。

この発話がされてしまうこと自体が実は問題なのではないのかなと思うのです。
これをいうと、なぜこれがかかれているのか、という話に近づくと思うのです
 
作者より:
ひとつの可能性は、わたしがなぜ、これまで語ってきたのかということを、イダヅカマコトさんのこの引用箇所に到って、はじめて気にしはじめた、意識しはじめた、というものです。

引用箇所のこの最後の部分は疑問でおわっています。
たぶん、じぶんでもわかりません。

わたしはけっきょく、自分の真空を埋めるためにここまで語ってき、この最後の箇所も書いたのでしょうか。

それともこの語りは沈黙自身が自発的に歌ったものであって、あとから自分がふりかえってあれと思ったのでしょうか。


…ところで詩は、なぜ発され、なぜ書き留められるのでしょう。
…わかりません、いまはまだ(汗)

Home
コメント更新ログ