窓を叩くような/石川和広
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 銀猫 
社会の中にあって、目まぐるしく進行してゆく思考が読まれてしまったかのような感覚を覚えました。
- 北野つづみ 
- よしおかさくら 
- BOOKEND 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 白井明大
じりじりとこちらに迫ってくるようなのが何なのか、「先」ということばに示されているものの存在感が迫ってくるのでしょうか、生きることのそばにある詩のように感じました。
 
作者より:
サクマアイコさん、ありがとうございます。 

銀猫さん、ありがとうございます。
公共交通機関の中で感じることは多いです。大阪環状線はよく利用するのですが、もう様々な方が乗り合わせている。その意味で世の中というか人の中にいて一人一人は行く先がちがうのに同じ列車にのること、またすれ違うことは非常に縁とか無縁ということを感じます。 目まぐるしい中で変わらないものもまたあると思います。

北野つづみさん、ありがとうございます。 

桜ヶ丘さん、ありがとうございます。 


白井明大さん、コメントありがとうございます。

今とか先とか以前とか昔とか生きていく中での時間軸っていうことは時々考えます。昔話で「今は昔」っていう語りだしがありますよね。すごく面白い。

>生きていることのそば


時間というか明日何しようとか昨日は何食べたっけというごく日常があって、そこに託されているものとか否定されているものとかなかなか計りがたい。無意識なものがいっぱいある。

人間の希望や絶望やあれやこれやのみならず、生き物や無生物のあれやこれやもさりげなくいれられればいいんですが。。

死ぬとか生きるとかわれわれがふつうに使う言葉をそのふつうさのまま大事に確かめたいんですけれど。
---2008/11/19 13:26追記---

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