作者より:
孤蓬さん いろいろご指摘を頂きありがとうございます。
歌の下にもちょこっと書きましたがこの歌はコスモスの異名に「大波斯菊」というのが
あると知りそこから色々妄想を膨らませて作った歌です。
それでこの歌ではコスモスを擬人化しているというか、妙な空想を織り交ぜております。
またペルシャから連想したペルシャンブルー(藍色)もこの歌のキーワードになっていて、
歌に出てくる「藍玉」は藍色の染料である藍玉とアクアマリンの和名である「藍玉」の
二つの意味で使っています。
で、歌の意味は大体こんな感じです。
「藍玉(藍色の染料の粒)が光っているような空がはるか遠くの異国の空に似ているので
(アクアマリンにも似た)まばゆい光に映る古の記憶の中で、コスモスがまるで踊る
ように揺れている」
『コスモスは古のペルシャの記憶を遺伝子レベルで持っていて、今ここに咲くコスモスは
ペルシャの空など見たことはないけれど、空がペルシャンブルーを連想させるような濃い
色の日にはその記憶が蘇り、まるでペルシャン・ダンスの踊り子のように踊るんだよ』と
いう朱雀か勝手に作った妄想花物語でございます。(笑)
ちなみにコスモスの原産地はペルシャではありません。
そんな妄想炸裂歌ですのでタイトルも「花幻」となっています。
―「舞ひし 秋桜」には、過去の助動詞「き」の連体形「し」が使われていますが、この表現では、コスモスがかつて舞っていたという過去の事実を回想している様子を詠んでいることになります。―
コスモスは遠い記憶の幻影の中で踊っているというか、過去と現在の次元が交差している
感じを出したかったのでこの表現にしたのですが、やっぱり無理があるでしょうか?
―また、「遠き海彼の 空に似たれば」というのは、「遠い異国の空に似ているので」というような意味合い、つまり、コスモスが舞っているのは何故か、その理由を解説しているように取れますが、たぶん歌意としてはそういうことではないのだろうと思われます。何となれば、遠い異国の空に似ていることが、舞っている理由とは論理的に繋がりませんので。―
これは孤蓬さんの仰る通り「遠い異国の空に似ているので」の意味で使っています。
ただ朱雀の表現不足で、なんだかちぐはぐな感じを受けてしまわれるのでしょう…
朱雀はいつも一つの歌の中にギュウギュウに思いを詰め込んでしまう悪い癖があって、
結局何だかよくわからない歌になってしまうことが多いんです。
きっと今回もそんな感じでなんでしょうね。とほほ…
こんな朱雀の駄作にまでご丁寧なアドバイスを頂き本当にありがとうございました。
---2008/10/26 20:01追記---
孤蓬さん 朱雀の独りよがりな思いまでご一読下さりありがとうございました。
―表現したい思いと、それをうまく表現できないジレンマというのは、私もしばしば感じるところです。
特に、定型韻文では、尚更に難しいですね。―
本当にそう思います。
朱雀はいつもそれで唸りながらもがいています。(笑)
短歌の創作はちょっとしたきっかけがあって始めたのですが、いまだに基本が全然なって
いないというか、作品を作りながらすこしずづ勉強しているところなので孤蓬さんのように
日本語の文法や語彙、表現など熟知なさっておられる方にこうしてご教授頂けるととてもありがたいです。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
それからこの歌について折角ご意見を頂きましたので、歌に詰め込んだ思いを少し整理して
改めて違ったカタチで『思い』を表現してみようと思います。
ありがとうございました。
真鍋 晃弘さん ありがとうございました。
---2008/10/29 20:38追記---
西夏さん ありがとうございました。
---2009/01/06 21:11追記---
北大路 京介さん ありがとうございました。
雅 羊々さん コメントありがとうございました。
自称『言葉フェチのヘボ絵描き』としては詩画という形で表現できればと思っていたりすのですが、お絵描きの回路と言の葉紡ぎの回路がうまく融合することはめったに無く…(笑)
それでも突然お絵描きの神様が降りてきたりすることがあるので、その時はまた見てやって下さいね。