作者より:
>冷やしこの夜さん
そういう反論は予測できたのです(あー当たり前すぎてつまらん
だから私は拙文のなかに「自分の意志では」忘れることが難しい、と書きました。
自分の意志に関係なく忘れる人は当然おります。
そして忘れた人にとって、「経験」はもうなかったことになるのです。
なかったことになったのでもう一度経験できるのです。ただそれだけのこと。ふっ。
---2007/11/12 21:51追記---
冷やし氏と私の意見のどっちが無意味かの判断は、読者諸氏に任せます。
---2007/11/12 21:56追記---
いや、「経験」はもうなかったことになる、という言い方もなんか間違ってますね。
私の考えからすると、元に戻れる可逆的な経験は本質的な意味の経験ではない、
とすべきでした。
---2007/11/12 22:00追記---
では自分の言い方が悪かったと謝罪しておきます。
私の意見が無意味かどうかの判断は読者諸氏に任せます。と言い換えます。
---2007/11/12 22:07追記---
せめて謝罪くらいは受け取るように。
---2007/11/12 22:10追記---
そうそうつけくわえ。
「無意味かどうかの判断は読者諸氏に任せる」以上、
この文章に関してのコメントに対し、私は反論も同意もしません。
無意味だと判断なさる方は「無意味だ」とコメントすればよいのです。
--2007/11/12 22:33追記---
>仲仲治さん
つまり私は議論をする気がないのです。
---2007/11/12 22:45追記---
「経験」と「体験」の違いについては辞書的な解釈でも説明できますし、
哲学用語としても説明ができるでしょう。
ただ、一般的に経験と体験は似たような使われ方をする言葉です。
ですからあえて「経験」と「体験」の違いについて書きませんでした。
文中には「体験」と書く方が意味が通じやすいと思われる箇所がありますが、
そのような場合でもあえて「経験」という言葉を使っています。
「体感」という言葉を使った場所もあります。
---2007/11/12 23:06追記---
議論する気がない人とは世間話をするしかないでしょうよ(笑
---2007/11/12 23:09追記---
>冷やしこの夜さん
他人の文章を引用するときは間違いなくきちんと引用してください。
---2007/11/14 01:30追記---
経験といちがいにいう場合、重視ないし軽視に偏るべきではない、と思います。
経験には重視すべきものもあるし、軽視してかまわないものもある。
場合によるという実に当たり前でつまらない中庸なお話です。
言葉足らずですみません。