やりたいことがあるんです/
佐々宝砂
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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mokko
私はPJのライブラリーに投稿しているもので、まだまだネットの詩人では ないけれど、批評 宜しくお願いいたします。
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川村 透
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よだかいちぞう
ぼくは校長先生の話を聴くのは好きだった
変わり者かもしれないけど
「パンドラの箱に残されたのは希望だった」というような話を聴くのが好きだった。でもそれは少数なのかもしれない。
立ちっぱなしで疲れてくるし、貧血を起こしてぶっ倒れる人が頻繁だった。
今ぼくが、校長先生の話を立ちっぱで聴けって云われたら喜んで聴くか、ことわるかもしれない、気分しだいだ。
けれども、無性に校長先生の話を聴きたくなることがある。
さらに云うのなら自宅に居ながらソファーで寝ながら聴くことができるなら最高だ。
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佐伯
すくなくとも批評NOのステージがあるのに批評OKのステージに載せながらNOは不思議だなぁ といつも思います。
わたしはよりよく作品を味わいたい為に、時にはより楽に自分にとって好い作品を見つける為に、批評文を読みます、いえ読みたいです。できればひとつの作品においてもいろんな人の批評文を読みたいと思っています。
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ワタナベ
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チアーヌ
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サダアイカ (aika)
間に詩を挟んだ場合、読者と作者の関係よりも、批評者と作者の関係がより密接になるんだな、と問題点の実感のこもった具体例をみつめながら感じました。批評者も作者も人間であるというあたりまえのことを、どちらも忘れてはならないのだと。ギブアンドテイクとあちらでは私は味も素っ気もない言葉で表現しましたが、批評する側と作者側が相互で理解しあえる時、どちらにとっても実りある批評となるのでしょう。ですから、私はやっぱり、すべての作者に批評を受けることを義務づけることはどうかと考えています。蕎麦アレルギーの人においしい蕎麦をふるまって、食べろ食べろみたいなのは(私は蕎麦が食べられるけれど)嫌だから。ただ、作者を対等な人間としてみて批評できる方がここにも、もう一人いるのだなと感じられると、素敵な気分。
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前方後円墳
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クローバー
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望月 ゆき
最近、批評についての議論がそこここで繰り広げられてますが、
私個人としては、自分の詩を公開している以上、感想なり批評なり
をいただくことはありがたいとさえ感じます。やはり読んでもらってこそ、だと思いますので。
読み手が感じたことや意見などは自分なりにしかと受け止めてその後の詩作に反映させたいという考えでいます。
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ふるる
批評を書いていいよなどということを言えるほどの詩を書く人になりたいです。
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伊藤浩子
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山田せばすちゃん
俺の書いたもんが何かの役に立つならば、好きなように使ってくれぃ、切ろうが壊そうがかまやしねえや。
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あとら
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バンブーブンバ
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フユナ
一度、上にいらっしゃるいとうさんにポエトリージャパンのある一週の巻頭詩に選んで頂いたことがあります(古い話で恐縮ですが)。
今更ながら、その詩が他から見てどうであるのか、知りたいと思っています。批評のないそれなりに大きなものは、担ぐのに重いものになりがちでした。
素敵だと思います。どんな詩を批評するにしても、ご武運を祈り、できることなら後に続きたいと思います。
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瓜田タカヤ
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nm6
応援してます。僕のでよければもちろん批評自由です。
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石畑由紀子
四年前から縁あって地元の現代詩団体に所属しています。それまではただただ我流、雑誌に投稿して入選しても詩誌ではなく『月刊カドカワ』だったりしたので、本格的な批評というよりは評者のコメント程度で。
で、地元の先輩詩人たちに初めて自作を批評してもらった時、自分では“完成形”として持参した詩に原形を留めないほどの赤を入れられ(構成だったり改行・行空けの有無だったり、「結局何が言いたいのか解りにくい詩だなぁ」だったり「この連はいっそないほうがいいね」とバッサリ切られたり)、カナヅチで頭を殴られたかのようなショックを受けたことを憶えています。もちろんそれらは添削ではなくアドバイスであって、最終的にどう直すかは作者の意思に委ねられるのですが、合評や批評の免疫がなかった私にはショックなできごとでした。
おそらく、そこは詩書きにとっての大きな分岐点なんだろうと思っています。人に自作品をいじられたくない人はひたすら自由に心のままに書く・発表できる場所で、批評よりも心地よい感想を求めてゆくでしょう、それはそれで否定する気はありません。その上で、しかし私は幸いそれらの批評が『書かれた想いがより人に届くようになるための』技術的なアドバイスであったり作者への問いかけであったりすることをのちに理解できて、それによって『うおーー!いつかこいつら唸らしちゃるー』と奮闘(笑)することができた、というか批評の奥にあるその人の愛情を感じとれた、、現在も、はしくれながらも今のスタンスで詩を書き続け、合評に参加できているのはあの時の批評のおかげだと思っています。
私の地元の詩人会にも、ネット上の詩に対して決して明るくない方たちが多く、触れず嫌いの方も大勢いらっしゃいます。もちろん公式サイトなんてありゃしません、パソコンを扱わない年代の方が圧倒的に多いからです。どこにいっても私が最年少者(33歳なのに)で、『今は若い書き手がいない』と詩人会の老齢化が懸念されています。でも違うんですよね、いないんじゃなくて探してなかったの、そして地元詩人会とネット上を活動拠点とする若い書き手に接点がなかっただけなんだと思うんです。今、ようやく双方が歩み寄ってみるいい機会ができつつあると感じてます。
なんか長文になってしまいましたが(私信のほうが良かったか;)、佐々さん、ここからささやかなエールを贈らせてください。
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Monk
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船田 仰
ことばは、うれしいものですもの。
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workshy
佐々さんは、表現することに対していつも真摯さ溢れる作品で圧倒されます。これからも頑張って下さい(^^)
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PULL.
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木葉 揺
すばらしい
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窪ワタル
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北野つづみ
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快晴
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かおる
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じゃんじゃっく
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あおば
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
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れつら
度発表したものにどのようなことを言われようとも、作者はそれを受け入れなければならないんじゃないか。ぼくはそう思ってます。かつ、それでネット詩に光が当たるなら、批評はされて然るべき。
ぼくのテキストはどんな評でもうけます。むしろ、お言葉をいただけるだけで感謝、なのです
おすすめ整理のためポイントはずしました。
作者より:
みなさん応援ありがとう。
名乗りをあげて下さったみなさんの詩を読みつつ、
いま構想を練っています。未発表の文章しか応募できない決まりなので、
できあがった評論は、各自名乗りをあげて下さった方にメールするか
会員制の掲示板に置こうと考えています。とりあえずお待ち下さいませ。
がんばりたいと思います。
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