私はただ、過敏さを露見したにすぎないのでしょうか?/サダアイカ (aika)
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- たもつ 
- いとう 
と同時に「作者に無断で批評をしないでください」という言葉がある種の免罪符として使われないことも祈りつつ。

>サダアイカさん
俺自身のスタンスとしては、批評は様々な局面においてとても重要かつ必要なものだと思っています(と同時に、あるいはだからこそ、批評ならばどのようなものでも許されるとは思っていませんが)。なので、「作者に無断で批評をしないでください」という言葉によって、すべての批評が拒絶されるような状況になるのは(=批評がどのような場合でも許容されない状況になるのは)、批評者にとっても、作者にとっても、それを読む人たちにとっても、とてももったいないことだと考えています。そういう意味で、「ある種の免罪符として使われないことも祈りつつ」と書きました。
- 佐々宝砂 
私は、プロの文章、ならびに批評の普及を呼びかけている筆者の文章については、筆者に無断で批評することがあります。批評普及を呼びかけた当人は、じぶんの文章を批評されることも潔く受けるべきだろうと考えるからです。それ以外の場合に作者に確認をとらず書くのは、このようなレスとしての感想程度です。題材としてとりあげる場合、筆者に確認はとります。いちどだけ、たもつさんに確認をとらずたもつさんの詩の批評を書きましたが、あの場合はある意味例外でした、掲示板でのやりとりの「オトシマエ」として書いたものだったからです。私自身は、自分の批評のスタンスについてすでにいくらか書きましたし、もういちど説明しろと言われたらいつでも説明いたします。また、私が書いている他の場所(PJのメルマガ「ドルチェ」)での批評については、毎回必ず筆者の了解を得た上で批評を書いています。
- あとら 
- とうどうせいら 
詩の批評は、まだ発展途上の分野だと思います。小説や映画と違って詩は批評の専門家がいないし・・・。暗中模索している感じ。
今は詩を書く人が批評もしている状態。
批評する時用の別筆名を用意している人もいないと思う。
だから、批評する為に批評しているのか、自分の詩活動の宣伝? 自分のカラーを強く出す為に批評しているのか、わからない文章がある気がします。後者のはちょっとめんどくさーい。読んでても楽しくなーい。微妙にうっとおしー、と思う。でも前者ので新しい読みを提示しているのがあったら面白い! って思います。(私はおすぎさんのレビューを読むと映画をばんばん観たくなって困ります)
もしかしたらサダさんは私と同じで後者の方が嫌なのかな? って思いました(違ったらすいません)。

ただ、どっちにしても、存在感のある作品にしか、批評はできないんじゃないかって思います。批評対象になったってことは、自分の存在感に相手が一目置いているということですね。
私は今のとこ批評とは無縁の生活で、読み専なのですが、内容はともかく批評の対象になってる作品はそれだけですごいなって思います。ってこんな他人事みたいな感想で良いのだろうかしらん。



 
作者より:
5/19
ある種の免罪符として使う、使わないのというのはどういうところを危惧したのであるか、わかりませんでした。いとうさんがどう考えたのか具体的に知りたい知りたい。です。
5/20
いとうさんの危惧していた状況理解できました。ご説明、ありがとうございます。私もすべての作者がすべての批評を拒否する状況を望んでいるのではありません。そして、同時に、すべての作者がすべての批評を受け入れなくてはならない状況を望んでいるのではありません。需要と供給のバランス。ですね。

佐々宝砂さんは、例外を除き了解を得た上で批評をしているということは具体的でとてもわかりやすかったです。ところで、何度も本文と照らし合わせて読んでいたのですが、もしかすると、最終段落3行目の「私はそれを強く望む。」をうけて書いてくださったのでしょうか。すると、「私はそれを強く望む。」は『私は、それを私に直接説明してほしいと強く望む』という意味ととらえられる可能性があるようです。コメント頂いて気がつきました。「私はそれを強く望む。」は『私は、それを私に直接説明してほしいと強く望む』という意味ではないのです。すると、最終段落、上記「」と『』が=とみえてしまう文章となっているのであらば、論理的でないのか、言葉が足りないのか、今はわかりませんが、何か欠如しているのかもしれません。近日中に確認してみます。ありがとうございました。

5/25
最終段落、数日見直しましたが、そのままで意味は通じると判断を下しました。
失礼いたしました。

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