近代詩再読 八木重吉/岡部淳太郎
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- たりぽん(大理 奔) 
- いとう 
- おるふぇ 
- 石田 圭太 
- 服部 剛 


     >息を ころせ
     >いきを ころせ
     >あかんぼが 空を みる
     >ああ 空を みる 

     八木重吉は信仰者ということで、
     あかんぼの無垢な瞳を見開いて、
     <空>を凝視する瞬間、そこに八木重吉は 
     <神>を見ており、その瞬間の緊張感から 
     「 いきを ころせ 」
     という言葉が生まれていると感じます。 

     >日をまともに見てゐるだけで
     >うれしいと思つてゐるときがある 

     これも確かになんの変哲も無い言葉ではありますが、
     病を経験した八木重吉の瞳に映る太陽は、
     目には見えないあふれるような恩寵を、
     ふりそそがれる暖かい日ざしから感じ取っており、
     その<言葉にはできない神秘>を
     感覚的に捉えている詩人なので、
     批評の言葉では図り得ない
     <詩魂そのもの>なのだと思います。

     ある人が言っていた
     「 詩人は行き着くところ、生き方です 」 
     という言葉を思い出す文章でした。 


- かおる 
- 北野つづみ 
たぶん。
岡部さんもご指摘のように彼がキリスト者であることが、
彼の詩を無防備にしているのだと思います。
語りにくいのは、彼の信仰心に私たちが追いつかないからかもしれません。
---2007/05/07 10:18追記---
- はらだまさる 
- 佐野権太 
- 板谷みきょう 
くものある日
くもは かなしい
くもの ない日
そらは さびしい

・・・
好きです。
- ふるる 
ひっそりとした神への感謝の言葉に見えました。
- 生田 稔 
八木重吉を心ゆくまで、語られたのではないでしょうか。旨くいえないといっておられるけれど、これで十分ですよ。僕も八木重吉好きだけど、貴方ほど解題できないです。
- 氷水蒸流 
ひねりを感じさせないのに日常言語から離れているところが興味深い。
そこにズレや解体や小さな自由があるのだと思います。
- 千波 一也 
 
作者より:
ありがとうございます。

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