小説と詩/砂木
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 太郎冠者 
昔読んだ大岡昇平のエッセイで、戦時中は時間や余裕がなく詩しか書くことができなかったという一節を読んだことがありました。
身体と表現のあり方はきちんと考えた方がいいかもしれないと思いました。
- 北野つづみ 
- ふるる 
小説はマラソンぽいです。空気を持続させるには体力がいりますね。
- 千波 一也 
なるほどー。
考えさせられます。
 
作者より:
独白を読んでいただき ありがとうございます

真山義一郎様 ありがとうございます

太郎冠者様 詩は 歌えますし 描けますし 語れますし 詩を説明すると
      小説になるのかなとか 想像はできますが 体力というのは
      気力で補えない部分があり 時間もそうですね。
      ただ その境目に立たざるおえなかった方は どう思うのかなと
      気になります。ありがとうございます。

北野つづみ様 ありがとうございます

芙雨ちゃまあ うん 詩だからこそのいいところもありますよね
       詩ならでは というか。多分 小説だからこその魅力もあると思うし。
       いい悪いじゃないんだけど どこが線かなあと思うのです。

ふるるっぽ! 現実に 表記をする場合 体力を消耗しやすいと変更するって
       私では 想像できない何か 物凄いエネルギーがあるって思う。
       その決断は決断で ひとつの登頂だと思うのだけど。
       自分の体を受け入れるって なかなか得心がいかない事もあるからね。

水無月一也様 読んでいただき 恐縮です。気持ちの持ち方じゃなくて体力で
       決まることもあるんですね 現実に。
       作業となると 支障のある事が発生する時もあるのですね。
---2007/05/08 04:44追記---

---2007/05/16 21:19追記---

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