岸田劉生「写実論」を読み解いて考える、批評とは何か/中川達矢
るるりらさんのコメント
わたしは、写実的絵画と そうでない絵画を比べると、写実的絵画を好むタイプです。だから、しょっぱなから立場が違うかもしれないなと おもいながら読ませていただきました。
わたしの祖父は絵を描く人でした。足が悪い祖父は
外にでることができないので、モノクロの写真をみながら色彩ゆたかな絵として興すという手法で描いていました。
何か月も一枚の写真を見ながら描いている様子を見て感じていたことは、写真は真実ではないという印象です。光の加減で 実像とはちがう像を結ぶことが多々ある。祖父の場合は
実像とは言えないモノクロ写真゛から なにかをうけとり 生を織り込んで絵として昇華する作業をしているかのように私には見えました。「植物水を吸い上げる様子を思いながら描いているんだよ」とも 言っていたからです。

そのような私なので、この文章のしょっぱなでは折れそうになりましたが、そして
批評を書くとことより詩を書くこと自体への興味がある私なのですが、読ませていただけて よかったことがあります。

劉生の批評が、芸術とはこうあるべきだ、と主張している点に 注目させていただけた点です。「内なる美」「心の問題」について、自身に問うていこうと思わせていただけました。

内なる美を持っている人が 良き批評家で よき芸術家なのかもしれません。
けれど、私は 思うのですが、いきとし生けるものは すべて内なる美をもっているとおもうのです。 人も 美を それぞれの中にもっていると信じます。だから わたしは 自身の内なる美をさがしてゆこうと 思いました。良い触発を得ました。ありがとうございます。