九月二日/るるりら
たまさんのコメント
一昨年のことですが、吉村昭の小説「戦艦武蔵」を読みました。膨大な資料と徹底した取材によって描かれたこの小説は記録文学の大作です。
武蔵は大和のコピー(二番艦)ですが、呉の軍需工場ではなく、佐世保の民間工場で建造されました。武蔵が完成すると連合艦隊の旗艦は大和から武蔵に移ります。ということは、山本五十六が武蔵に乗り込むということです。嘘みたいな話ですが武蔵は冷暖房完備の戦艦だったのです。
それはそれとして、この小説を読むことでぼくの戦争に対する視座がかなり変化しました。
人間の狂気というものを再認識したのです。それは戦争という状態の中での出来事と、受けとめることもできますが、この日本がもう二度と戦争をしないという約束が、脆くも崩れ去るのです。
人間の狂気というものはいつの時代にも、どの世代にも存在するからです。

8月15日はお盆と重なりました。日本人にとってこれ以上の終戦記念日はないと思います。
世の中には様々な人がいます。筒井康隆は「もう一度中国と戦争をして勝つのを見届けてから死にたい」と広言します。もちろん、そんなこと本気で考えてるわけはないと思いますが、本気で考えている人もいます。
ですから、狂気は今もそこらじゅうにあって、燃え上がる時を待っているのです。
不気味ですね。日本がもう一度、負けるかもしれないのです。たぶん、そうなったらもう日本はなくなるでしょうね。