「反逆する読者」宣言/KETIPA
KETIPAさんのコメント
皆様、ポイント、コメントありがとうございます。


仲 仲治さん

やはり作者からすれば、書き手の意図を汲まずに勝手な解釈をされることは嫌なものなのでしょうか。(そういえば「いやらしい」では拙作も取り上げていただいてありがとうございます。あの文章に気づいたのが結構最近なので、うっかりお例を言い損ねておりました)というか私は、勝手な解釈をしたいというより、作品から新たなイメージを勝手に作り上げて楽しみたいだけなんですけどね。

もうみんな一々言わないだけで、大体同じようなことを考えているというのであれば、それは喜ばしいと思います。それがわかっただけでも収穫でした。


RANRARARANさん

誤読といわれると本当に違和感を覚えます。この作品にはこういう正しい読み方があって、お前もそう読むべきだ、という、発言者側の傲慢さまで感じてしまいます。


ベルヤさん

「書き手が世へ手放し、読み手がそれを手にした時、言語化されたという現実の世界から逸脱する生ものであり、読み手それぞれの解釈で、時も環境も違う次元へ読み手を導くものであればいいと思います。」という詩に対する姿勢、全くもって同意です。いまの現代詩フォーラムを眺めていると、作者が自分の作品を大事に所有していたい、という意志を強く持ちすぎているんじゃないか、と思えることが度々あるので、ベルヤさんのような意見は非常に頼もしく思えます。

私にとって、詩に一番近いものは音楽です。特に歌詞のない電子音楽やインストのもつ抽象性が、言語化できない感動を引き起こすということに非常に関心があります。それ自体にそれぞれ意味がある言葉を用いているのに、極度に抽象化した感動を引き起こせるという点に、現代詩の奥深い可能性を感じています。むしろその点以外では、他の表現方法に勝ることができないとも感じます。ベルヤさんの「読み手へ自由な余白を託してくれている」という表現が、その魅力を端的に表していますね。まさしくその点を蔑ろにしないように現代詩と接していきたいです。

これからは、ベルヤさんの詩についても、宣言どおり自由に読ませて頂きます。ありがとうございました。


AtoZさん

いつもAtoZさんの批評、楽しみにしております。(フォーラム内の)他の誰とも違う視点で論じられている批評と、それをめぐるやりとりには、常々ドキドキさせられています。
本当に、今のトップ10は非常に穏当なものばかりですね。むしろコメント欄の盛り上がり度合い(文字数)を一つの尺度にして、いま熱い作品をトップ10に並べてもよさそうなものですけどね。ポイント数じゃなくて。まあそれでは批評ばっかりランクインされてしまいそうですが。

ここが「THE POETRY SNS」である以上、仲間意識が多少生じてくるのは仕方がないとしても(というかそれも一つの目的なんですよね、ここでは)、作品の評価体系まで仲間が多いかどうかで決まっている(ように見える)現状は、どうも物足りないです。本当はみんな詩の形を借りてコミュニケーションがしたいだけなのだったら、私がここにいる意味すらないです。ですがAtoZさんのような論者がいる間は、まだ何とか大丈夫だと感じています。AtoZさんのような方がいなくなった時が、私がここを去る時かもしれません。


キリギリさん 

私個人の読み方を否定されることを拒む以上、「そういう読みかた以外の詩の楽しみ方」を否定してしまうと、結局私の意見を人に押し付けるだけの宣言になってしまいそうだったので、それは今回避けました。でもまあ、せっかくなら強い口調で言ってもよかったかもしれませんね。

肩が触れていたような気がしていたのは、私に少しのすり寄り根性が残っていたからかもしれません。もう誰も来なくても、好き勝手にさせてもらおうと思います。


Johanさん

この文章を書いた目的の一つに、こういう話がいつからどこでされてきたのかを、この文章を読んだ誰か教えてくれるのではないか、という期待がありました。なにせあまり過去の議論や主張を知らないもので。
なるほど1950年あたりにはもうあったんですね。まだ生まれてもいないころから同じようなことを言っているということがわかって、なにやら安心しました。サルトルあたりを当たってみます。どうもありがとうございました。

---2010/06/21 22:06追記---

いとうさん

100年前にもありましたか。かなり普遍的というか、何度も問題にされることのひとつなんですね。民衆詩派あたり調べてみます。どうもありがとうございます。


大村 浩一さん

個人的には、私的心象が多く描かれるのは「殺伐とした世相の反映」というより、個人主義が推し進められてきたほうに原因があると感じています。他人とのつながりが希薄になり、自己完結することが多くなったように思えますし。あ、それが「殺伐とした世相」のひとつでしょうか。

このまま現代詩が私的心象のはけ口だけの存在に成り下がってしまったらと思うと(杞憂でしょうが)、なにやらやるせない気持ちになります。そういう意味でも、今後現代詩で何が起こっていくか、楽しみに見てみたいと思います。(あとどうでもいいですが、私はKEIPAじゃないですよ)


テシノさん

謝らずに「詩の読み方が間違っているという考えが間違っていると思う」と宣言したのがこの文なので、私は誰にも謝るつもりはありません。「思う」なんてえらく気弱な宣言ですが。