(仮)ピグミーチンパンジーの〝現代詩〝 1/ツ
さんのコメント
Sさん

>しかし、わたしが認知心理学専攻だったので思うことかもしれませんが

認知心理学専攻の方だったんすね!

>この事例は、非言語コミュニケーションにたまたまこういう発言が付随しただけだと取れなくもありません。こうした事例でパロールを云々して結果的に、非言語コミュニケーションの本質を看過してしまうような論調には注意を要すると

はい。一貫して意図的にそのような論調で書いています。
言語表現を情動や表情的な性質を帯び続けるものとして、また文化的慣習のとしての表情や身ぶりやまなざしと根本的に異ならないものとして、それらすべてに注意を総動員させてなされるコミュニケーション行為の一部として。

>個人的に、骨山さんにチョムスキー先生を説明してほしいです。

スイマセン!((土下座 チョムスキー先生に関してはwikiペディア並の知識しかありません。。
ただ彼はデカルト主義を公言しているし、ゆえに人間の心を普遍的で内的なカテゴリと構造としてとらえ、環境はたんに発達の段階を刺激するもの、アプリオリに備わっている知の枠組みを検証するための燃料…くらいにみなしていますよね。
あと、認知心理学は、前世紀初頭〜半ばまでにアメリカの心理学を席巻していた行動主義(?心?を売った行動主義なんていわれてましたね)の反動の力学で生まれたものだと認識していますが、それはさておき、僕は行動主義、とゆーよりも、スキナーの徹底的行動主義がけっこー好きです。で、チョムスキー先生はスキナーさんをものすごく不当な批判で貶めたから、、とゆーのもあって個人的に敬遠しているフシがあります。。(同じく一度キチンと勉強しようかなと思っています)
それから自然言語を解する(翻訳)するコンピュータてなかなか実現しないじゃないですか。あと10年で出来る!とかいわれ続けて数十年。統語論的に、つまり、文法と辞書をツッコんでケーシキ的に論理操作すれば解がえられそうなものの、これがうまくいかない(文法的にキチッと正しい文章を入力すればできますが)。ましてや、文脈を読んで人間の質問に受け答えるとなると…2050年頃にシンギュラリティ(技術的特異点)は本当に訪れるのか…。
M.I.Tのミンスキーという人がこんなことをゆっていました。
「人はおぼつかないことばを喋りだし、大学に入ってやっと微積分ができるようになるけれど、コンピュータはその順序が逆だ。彼らは最初から高度な微積分がもう出来る。なのに、いまだ子供みたいなおぼつかないことばも満足に喋れないんだ」と。ウロ覚えですが。。
僕は言語についてどうしても、統語論ではない方向から探ってみたいとゆうか。。

コメ、ありがとーございました^^