ひきしお/まどろむ海月
さんのコメント
---2012/06/18 17:25追記---
おひさしぶりです。^^
脱力感、厭世感は...ぼくもそうです(や、ぼくの場合もともとそゆところありますが、、3.11以後、、ツナミとげんぱつで世の中と世界の基底部が見えてしまいそれが加速してしまった感はありますね、、どーだろう、、。)。
ところでこのところ連日のよーにオウムのニュースが報道されてますが、ぼくは95年のオウム事件のときまだ物心ついてないよなローティーンでした。ですが、、当時のオウム事件の世間での騒がれ方やショックを、あのミレニアムな時代の空気(エヴァンゲリオンや酒鬼薔薇、援交少女、阪神淡路大震災、、等々と相まって)を、なんとかそりれなりのリアリティをもって想い起こすことが可能ですが、ぼくよりも下の世代の人たちにはそのリアリティは伝わらないんじゃないかなー、とも思います。今回の一連の逮捕の報道と当時の世間をとりまく空気とをうまく接続させることができないというか。ぼくがチェルノブイリや連合赤軍をもはや経験としてではなくいっしゅ教養としてしか想い起こせないように。されど今なおオウムがこれだけ騒がれるのは一定の強度をもって当時を覚えている者がまだそれだけ多くいるということでしょう。
何かに対する人間の感情(悲しみや憎悪や愛情やショックや熱意や責任感や使命感)とは、いったいどれ程つづくものなんでしょうか(もちろん浅く短くすぐに忘却されるものもあれば、繰り返し想起され補強されてゆくものもありましょうが)。17年後、ではなく、もしも1万7000年後のニッポン列島のどこかで地下鉄サリン事件の容疑者がふいに逮捕されたとしたらどーでしょうか。や、そんなことはありえませんが。。
話がそれました。。
原発は現実としてとてつもなく長いタイムスパンで付き合わなきゃいけない問題です。そもそも今回のよーな事故が起こらなかったとしても。や、げんぱつは人間のタイムスパンをはるかに超えてるからどうのとかじゃなくて、それ以前に廃炉40年とかいってますが(さらに引き延ばされそうな雰囲気もありますが)、その40年だって長いなー。げんぱつに限らず(ねんきん、でもいいですが..)数十年とは短いようで長いですよ。
少なくとも個々人の、世代の持ちうる使命感とか責任感とか罪悪感の感覚の網の目をゆうにすり抜けそうな長さだ。その間にどんな歌やサンダルが流行し総理大臣だって何人入れ替わることか。だったらどーしろよ、てのもないんですが、、悪魔の証明の押し付け合いをやってる場合ではなさそうですよね。。

この詩はかつて身体の感覚を通して触れたもの、シャシンが構造上直接そこへは写り込めない背後の写真器の存在をも写し出しているように、それによって同時にそこにいた身体をも写しているよーな、自己特定的な詩でもあるなーとか、かってにそう解釈してみました。。^^;