秋の水/まどろむ海月
まどろむ海月さんのコメント
読んでいただき、嬉しいです。

夏野雨(吟醸並)さん、風音さん、見崎 光さん、5or6さん、海狸(吟醸並)さん、ツナさん、 LEOさん、 文月悠光さん、かものはしさん 久遠薫子さん ありがとうございました。

八重さん、いつもありがとう。やはりあなたからコメントをいただけるのは、本当に嬉しいです。 
ゆるこさん、有り難うございます。すごく嬉しいコメントで、感激です。 

ツナさん、コメントを追記していただきありがとうございます。
精確な解読というのは、実は私もすごく好きなのですが、解剖という行為に似ていまして、以前ある詩人から、そこまで読みこなされてしまうと詩の生命まで奪われてしまうような気がします、と苦情を言われた事がありますので、以後は慎重になりました。
とは言え、いつもながらの御厚意に加え、今回はこの拙い詩に対して「解読しようと、何回も読んでみた」とのことですので、自作の腑分けでお応えする事にします。

多重に自己を分裂させて会話させるという表現技法を、私は多用しているのですが、古いギリシャの弁証法を原型として意識しています。
主題は「無常」で、それが 水と 旅と 季節や自然や人事の変容 のイメージに重ねられて語られていきます。仏教の奥義に「色即是空、空即是色」というのがありますが、空とは無常に他なりません。太陽さえ何十億年後に果てるさだめにあり、無常なのです。「終わらない」という言葉が、「無常」と「永遠」をつなぐ言葉として提示されているのですが、実は人の「かなしいねがい」つまり悲願、それは せつないあこがれ と言い換えていいと思っているのですが、その叙情性には特別の位置が与えられていいのでは、ずーっと考え続けています。認識より 感覚と愛は さらに深いのではと。
ツナさんの読解の試みはあまりに深くていささか買いかぶられたかなと恐縮してしまうほどですが、末尾の表現だけはいささか自負があります。
何処にでもころがっているような言葉ですが、このように語られた後に提示されることでこのありふれた表現に、仏教の最奥義でもある四法印「諸行無常、諸法無我、一切皆空、涅槃寂静」の調べが重なって響くように意図されています。日常にありふれたものの深さを見つめなおすことが、いつも最も大切なことなのだろうと思うのです。
自作を主知的に解体していくと、ざっとこんな感じになるのですが、このように頭でっかちな読解を求めているわけではありません。イメージの流れを、音楽的に楽しんでいただけるだけで充分なのですが、それがなかったら、詩としてはまず失敗作だ、と思っています。
では、また



「秋の水」反歌
                           

流るるものが
流るるもののなかでも
流れている


無常が
無常の中でさえ
無常であるように




それでも
もどってきてほしい
という願いばかりは
いつも もどってきて…





                         



---2007/10/18 00:45追記---

---2007/10/19 21:47追記---
さらに丁寧な心のこもった読み応えのある再追記有り難うございました。さすが、というか うなづくばかりでした。



---2014/02/07 16:17追記---