待望到来/ひだかたけし
菊西 夕座さんのコメント
あけましておめでとうございます。

「待望到来」ということで、まず生きる上での萌芽姿勢が凛凛と整っている。これは大事なことだと思います。森をなす一片の草花といえど、伸びる準備はできているわけであり、それはあたかもロケットのように緻密な計算のもとで準備されて、まっすぐに配置されているわけですが、みずからもその配置を引き受けて点火を待望するという姿勢、これが善く生きる上で欠かせないと思います。

この詩のよいところは、あらゆるものの最果てにおける渾身の霊妙なる溶解を試みている点であり、それはあたかも男女の激しい接合の果てに迎える絶頂のようでもあります。

海と空の交わりのような、はるか彼方における街並みと森の接続。過去と未来の共鳴。意識と無意識の混交。外界と内部との混濁。私と私たちの一致。すべては一瞬の炸裂の果ての永久なる統一に向けて相反するものの超克的な摩擦運動が成されているわけですが、 その刹なる燃焼合一へと賭ける擦り合わせに貢献するべく、言葉たちが互いに擦り寄っている様がまた素晴らしいと思います。

たとえば
「内から沸いて入射して来る光の充ち」の「充ち」と掛けられた「道」であったり、

「地に足を踏ん張り暗む青仰ぎ眩み」の「暗む」と「眩み」、または「青」と「仰ぎ」の音合わせであったり、

「森の奥の奥なる億」の「奥」と「億」の抱き合わせであったり。

これらは「あざとい」とか「あからさま」といったふうに見られる向きもあるかもしれませんが、個が全へ結びつこうと自らの解放をはかり、一方でまた、全から個が芽吹こうと沈潜する能動がよく表れていて、いわば必然を生きようとする汗の結晶のように自然に思われます。

---2026/01/02 00:43追記---

---2026/01/02 00:44追記---