『公とは、なにか? ケントギルバート著作「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を巡って、AIと対談.../鏡文志
ひだかたけしさんのコメント
〉…でも実際現実問題を考えると、そうだよね。それが一番正しいよね。欲を言えば、60年代にトキワ荘にあったような、一人一人が自立した公概念を持ち寄って集まる共同体のようなものが日本らしくて望ましいかなあ。それが80年代に入ると、みんなで広げよう友達の輪になっちゃったでしょう? ああいったものがお茶の間に広がった時、個人の自立した公概念というものが乱れ崩れた気がするのです。古い父性の復活のようなことですが、家族を守り…

鏡さんがずっと公共性/倫理性の確立を問題にしていることは良くわかります。

けれども、ならば何故に父性の復活なのでせうか…?

群れ寄せ集まる醜悪凶暴なる村暴力性が嫌で都会に出たけれども、自らの孤独と対峙出来ずに家庭へと(或いは引き籠もりへと)逃げ出した都会人現代人(にも関わらずTOKYOへの憧れ流入は止まず)、

ならば、もはや父性/母性云々では、無い のでは…

やはり、自らの内なる普遍と云う孤独バケモノ私なるものとキチンと向き合うことからしなければ全てはファミリービジネスとして資本利潤金儲けに回収されてしまう、
今の僕はそう想いまする、取り敢えず。◯√ゝ


---2025/11/08 20:17追記---


---2025/あ、違います!この引き籠もりやら都会人云々は貴方を批判して言ってるのではありません。

飽くまでも今の時代潮流の性格付けとして、書いたのです。

後、やはり他のシェルターが見つからなくて云々は、経済的物理的に親の生命頼り(なことを認識していない)なわけですから、今の僕から見れば、アマちゃんとしか言いようが無いです。

---2025/11/08 21:00追記---

---20あ、未成年だったら引き籠もりは一つの手段です。
僕が指摘しているのは、成人過ぎての引き籠もりですよ、や、精神的肉体的疾患抱えて居るならば全然別です。

---2025/11/08 21:21追記---

や、今の貴方は貴方としてシッカリ生きてはる!と僕は想います。
僕の友人にもグループホームに居る奴がいるので、大体の事情は認識出来ます。

ガンバ!ですよ、鏡さん。◯√ゝ

---2025/11/08 21:29追記---

生きること自体を意識的に労働して居る、から、鏡さんはシッカリ生きてはる!と伝えました。どうか誤解無きように…