チャーリー・カークは何故世界の若者のこころをとらえたのか/室町 礼
杉原詠二(黒髪)さんのコメント
家族のいないものを引き取って、家族を作るのがヤクザです。『地元最高!』という漫画にそういう話が出てくるのですが、マフィアにしかなれなかった人も、いるのですよ。人間というのはそういうものでしょう。だから、親鸞聖人は、悪人正機と仰った。筋を通さなければ、ヤクザやマフィアの方が、人のこころを引き付ける、と言ったことも存在するはずです。地獄落ちを覚悟で、やっているわけですから。わたし自身は、暴力を振るうのも振るわれるのも怖いので、とてもとてもそんなことには関われないのですが、人の痛みには敏感でありたいです。家族のいないものに、生きていくなと言えますか?福祉の充実によって、だれでも生きて行けるようにする責任が、行政にはあります。こころが、裏切ることのなく結ばれた親、兄弟を望むこと自体に、罪があるでしょうか。価値観が違うやつは死んでもいい?そんなクソみてえなことを言うなよ。利害のくびきを超えて、自らの心と行いを清くするなら、不死の境地に至るでしょう。そして、たくさんの人の尊敬を集める。人が生きるとは、利害の調整を超えて、本当の心で行動を決めることに他ならない。もし、戒めを強く守るのなら、阿羅漢に至るのでしょうが、現代のわれわれは、心の安らぎを得て与えるために、何ができるかこそを考えないといけない。人の心を擾乱して、善でございと言ってみても、そこにはうすら寒いあざけりが存在するだけだ。

---2025/09/17 10:57追記---
世界も自分も汚れまくっていて無茶苦茶だから、こんな世界は爆発してなくなってしまえばいい、と考えたり書き記したりする人も多いようですよ。現実的に、核の悲惨さ、苦しみはあまりにも(日本人には)明らかなので、そんなことをさせるわけにはいかないのですが、戦争反対を隠れ蓑にして、あくどい主張を繰り返す心の汚い人物が、世の中に多いというのも事実です。現実に貢献すれば、その分だけ、自分を思い通りに動かしていい、小さな人たちの思いを無視して損なっていい、そんな道理がありますか。
ひとのしたこと、しなかったことを見るのではなく、じぶんのしたこと、しなかったことを見よと、お釈迦様は仰いました。大きな流れの中で、小さな人たちの小さな善が、集まって大河を成して世界善を達成するのが、民主主義じゃないですか。