若者よ、書を捨て東京には行くな/足立らどみatsuchan69さんのコメント
寺山修司の一句が、
まるで巴里の街角で配られる小冊子の挑発的なスローガンのように、
受け取る者の器量によって毒にも薬にも変わるのだと痛感させられる。
足立らどみ氏の文章は、
軽やかな放言の仮面をかぶりながら、実際には非常に冷徹な観察を宿している。
ジッドを豚に、安部譲二を寓話の異形に仕立てるその筆致は、
サロンで交わされる辛辣な冗談を思わせる。
笑いの下には、凡庸さに対する苛立ちが隠れているのだ。
それに応じる inkweaver の言葉は、
より静謐で、分析的である。
若者の浮遊と詩壇の閉塞――この二つの極端を同じ地平に並べ、
そこから「言葉が誤解される宿命」を透視する。
まるでサルトルがカフェ・ド・フロールで語るときのように、
平凡な日常の背後にある宿命を抽象化してみせる。
そして最後に置かれた「モルト」と「水」の比喩――これはきわめてフランス的である。
閉鎖的に熟成された酒が、
限られた者の舌を喜ばせるだけなのに対し、
無色透明の水は万人を支える。文学的な酔いの陶酔と、
日々の糧としての平凡さ。
その対比のなかに、表現と生活の真の価値が浮かび上がる。
総じて、このテキストは、
挑発と省察、皮肉と誠実さが交互に呼吸する一篇である。
そこに漂うのは、「町へ出よ」と呼びかける声の反響ではなく、
むしろ「本も町も、その両方を抱えよ」という二重奏のような響きなのだ。