胸のしゃぼん玉/唐草フウ
洗貝新さんのコメント

推敲改訂されたのですね。
ところで、フウさん、これね、胸につかえるシャボン玉、ってすごく異様でおもしろい表現だとは思う。なんだろう?って思ってしまいますよね。胸につかえるシャボン玉って、なんでシャボン玉なんだろう?とか、胸につかえる、の意とか、当然解釈を要求されるわけです。
読めば、お決まりの挨拶とか、世間話云々とか、ああ、語り手は日常の煩わしさに嫌気が指してるんだな。ていうのがわかります。この煩わしさとシャボン玉の関係を読み手にどういう反応で求めるのか。もちろんシュールな位置づけでもいいんだけど、この語りに作りではシュールとしての位置づけは難しい。
なので、このシャボン玉の意味をしっかりと作者は認識しておく必要がありますよね。
例えば、ですよ。シャボン玉を透して何が見えるのか、なんの思いが込められているのか、等々。
たぶんね、僕が思うに、こんな煩わしい状況の中でも空気の塊のような、第三者的な位置づけから眺めることができたらな、っていう願望のようなものを指しているんじゃないかな、って思うのね。
とすれば、とすればですよ。
胸につかえるシャボン玉の、胸との直接的な言葉の関係はつり合いが取れなくなってくる。
シャボン玉はシャボン玉として、胸とは切り離された願望としての透明な立場で感覚に置かれ、 
胸につかえるのは、その願望を掴みきれない状況の腹立たしさを表現してみては如何だろうか?
それは時間でもいいし、語り手の本当にやりたい仕事とか、将来の夢でも、
と、そんな風にわたくし思った次第なのですが、ああ汗が痒い、一服したらシャワーいきますよ。



---2025/08/29 06:11追記---