「思い出の渚」の冒頭歌詞を検証してみる「作詞家岩谷時子の発言を聞いて」/洗貝新
室町 礼さんのコメント
アラ貝センセイにしてはめずらしく眼の付けどころが
悪くない。ただし解釈や想像はまったくデタラメだが、
「きみを見つけた」という冒頭の歌詞を棚に載せたのは
アラ貝にしては上出来だろう。褒めてやっていい。
歌謡曲なんてバカにしている自称詩人が多いが、例えば
「背伸びしてみる海峡を~」♪という歌詞の「背伸びして
みる」「海峡を」なんて言葉を思いつく現代詩人なんかいない。
それほど現代詩としても傑出している。上句に続く、
「~きょうも汽笛が遠ざかる」♪という歌詞もいまどきの
現代詩人には不可能。それほど天才的。
これはなかにし礼の曲ではなく無名の天才的な詩人の歌詞を
なかにしが惚れ込んで歌にしたものだ。
「きみを見つけた」なんて岩屋時子には不可能。現代詩人的
感性の冒頭句なんだから作詞家には無理。それをまあ「きみ
と出会った」と対比するとは、バカ丸出しだが、まあしかし
この句に眼をつけたのはめずらしく◯だ。笑
---2025/08/24 16:27追記---
もうひとついえば、「あなたの過去など知りたくないの」
という歌詞もとうてい思い浮かばない歌詞。
「あなたの~」まではだれでも思い浮かぶがその続きをど
うするかでなかにし礼は死ぬ苦しみをした。
「あなたのことなど」では凡庸だ。いまどきの現代詩人な
あら「あなたのことなど知りたくない」で終わる。
ところがなかにし礼はそれでは満足しなかった。七転八倒、
一ヶ月近くも睡眠も十分とれないほど考えても浮かばない。
ところがある日、茶店でふと雨の銀座通りをみると和服の
ホステスが傘をさして店を出ようとしている。それをみて
なかにし礼は「あなたの"過去など"」を思いついた。
これはレコード大賞をかっさらったが今どきの詩人は
観念的なことばかり考えて言葉の真のうごき、必然を
考えない。だからアラ貝もふくめてクソのような詩しか
かけないのだ。と、おれは思うのだけどね。