海の底にて/由比良 倖
由比良 倖さんのコメント
>洗貝新さん
ありがとうございます。
ここ数日、ひどく調子が悪くて何も書けず、返信が遅くなりました。
今も気分が悪く、碌なことを書けそうにありませんが、ご勘弁願いたいです。

小説を書くのは、すごく難しいです。
昔、小説は千字(原稿用紙二枚半)で自由に書く練習をすればいい、という本を読んだのを思い出して、
今は構成も何も考えず、思い付いたことからがしがし書いています。
推敲もうまく出来ず、書いたら書きっぱなしで、これでは作家への道は遠いな、と思いつつ。

この作品ではどちらかと言うと、真由が僕自身の延長と言ってもいいと思います。
でも彼女自身を話者に設定すると、ただのひとり語りに終始してしまうので、
少し冷静な視点を持った「僕」に語らせています。
いくつか女の子自身を語り手にして小説を書いたことがあるのですが、
それだと、本当に纏まりのない散文詩のようにしかなりません。

「記憶」と「記憶自身」では大分意味合いが変わります。
もしかしたら良くはないのかもしれないのですが、僕は後者の方が好きです。
「記憶」そのものに自律性があって、自分の意思とは無関係に死んでいく、
というイメージが強められるからです。
でも作者の思い入れって、あまり良くない方向に働くことが多いですね。
確かに少し分かりづらい表現かもしれないな、と思います。
例えば「記憶が勝手に自殺していくような朝に……」などの方が良かったかもしれません。
冷静に客観的に推敲するということが、今はなかなか出来ません。

詩は僕の場合(9割方くらいでしょうか)、推敲するなら言葉を削った方がいいのですが、
小説や散文は、ざっくり削ったり、逆に説明を補った方がいい場合もあって、
加減がまだ少しよく分からずにいます。
冒頭の描写は詰め込みすぎだと自分でも感じたので、取り敢えず改行だけ増やしてみました。

今、僕は長編小説を書くには体力と気力が足りない気がします。
あと、生活リズムが滅茶苦茶で、大抵は夜中だけ元気です。
長編小説を書くなら、毎日淡々と少しずつ書いていく習慣を身に付けた方がいい気がします。
僕は近い内にきちんと小説を書きたいと思っています。
構成力を身に付けて、慢性的な自殺願望なんかからは、とりあえず遠ざかって。
美しい物語が書けたらどんなにいいだろうと思います。

しばらくは夜中の気持ちいい時間に、短い小説をいくつか書くのではないかと思います。
(今こう書いていても自信の無さを感じます。僕は頭が悪過ぎるし、考えが浅く、
 読書量も勉強量も本当に、恥ずかしいほど足りていません。)

まだ雰囲気だけの物語(?)しか書けません。でも、いつかちゃんと物語を書きたいです。
自分では自分の作品を客観的に見ることが難しいので、
洗貝さんの視点で感想を書いてくださったことは、とても有り難いです。
頑張りますね。


>ジム・プリマスさん
コメントありがとうございます。
ノルウェイの森の言葉というのは、
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
の部分でしょうか?
僕は生きながら、死を強く感じる時間が好きです。
死にたいから死を感じている、という訳では全然なく。
刻々と僕は死に続けていて、人間はきっと皆、死と共生しています。
今も死と共にある、と感じると、肉体の死は、全然怖くありません。
消えていくのだ、と考えると嬉しいです。

でもまあ、それはそれとして、元気に楽しく生きていきたいものですね。
今日はここはぽかぽか晴れていますが、ジム・プリマスさんのところはどうですか?
また寒くなりそうなので、暖かくしてゆっくり生きていきましょう。