『でっぱり』について語る時に、私たちの語ること/作・ミセス・アーモンド・クレージー・アーホー/鏡文志
りつさんのコメント
ありがとうございます。

でも1つ違うところがあります。
男の躰を求めない女もいるということです。
そもそもセックスは嫌いだし、
今や肉体的にも、もう無理です。
もはや、痛いだけ。拷問なだけ。
昔、お師匠さんは
「それは律が、精神>精神>精神>肉体だからだ」と言っていました。