キャンディー・バップ/ホロウ・シカエルボク
朧月夜さんのコメント
「バップ」と聞いて、まずわたしはシンディー・ローパーの「シー・バップ」とか思い出したりするんですが、ホロウさんにあってはどうだったでしょうか。冒頭の「解毒的なソナチネ」から、まず怪訝な様相を思い致されます。「解毒的」? 本当にそうだろうか、と。わたしにとってはむしろIMEの予測変換で出て来た「外道的」という言葉のほうがしっくりと来るものだったのですが……「歪んで薄汚いエフェクト」とつながる以上、「汚いは綺麗、綺麗は汚い」という言い回しの婉曲的な表現だったのかと思い……。そして突然iPhoneですか……ホロウさんがMacユーザーかは存じ上げないのですが、ここでの「アイフォン」はまさしく世間に喧嘩売っている表現ですね。デザイン業界の人や自意識過剰な人、あるいは自分は謙虚だと思い過ぎている人でなければ、iPhoneは使わないのです。わたしとしても、最近になってアップルの良さが分かって来たというのはあるのですが……。今回は冒頭から盛りだくさんですね。「傘を差す」──この何気ないもまた衝撃だった。わたしの地元の仙台では、多少の雨や雪であれば傘は差さないので。「俺は気まぐれにキャンディーを買いたくなった、ひとつずつ包んで袋にまとめてあるあれさ」というところで悶絶、そんな菓子屋さん、ありましたっけ? いや、これはスーパーで普通に手に入るキャンディーなのか。だとしたら、詩想(ポエジー)の真ん中でこうした俗物的な記述が現れて来ることの先進性がたまらない。いや。今はすでに手垢もついているか。そして「ジャンヌ・ダルク」なのだから、この市井性と芸術性との往還とは何だろうか。──「そんな態度を俺も欲しいと思った」で、しっくりと来ます。作者は<天界に通じる市井性>をこそ望んでいるのだと……ここまでホロウさんの詩を読んで来ると、今さらですが。ただ、わたしはここに来てさらなる高揚感も感じ。あとは魔術師の謎解きのように。わたしはここへ来て、ボードレール? 違うよね。ロートレアモン? 違うよね。なら、サッフォーはどう? などということを感じるのですが。それにしても、今回の展開は目まぐるしいですね。思わず、あなたアルバン・ベルクですか、ブライアン・ファーニホウですか、ということを思ってしまいました。まあ、これ以上は言いますまい。すべての表現は魂の律動なのだと──読者はそこで諦めれば良い。一つ気になるのは、この詩に現れているこの世俗性は何なのだろうか? ということ。ホロウさんの詩はこれまでも、難解なように見えて、よく読めば「ああ、あるある」という意匠が現れているような気がしていたのですが、まさかここに来て俗物への回心? オー・ヘンリーの「最後のひと葉」ですか? という。今のホロウさんにあって、オー・ヘンリーでもないでしょうし、……それにしても、このアクロバティックな展開は……。読んでいるわたしも疲れますが、書いている作者はわたし以上に疲れているだろうということは用意に想像でき。ですが、詩人を評価しようとする批評家たらんとするのであれば別として、ここには読者を楽しませるためのギミック/ガジェットがふんだんに散りばめられている。それにしても、ホロウさん、優しくなりましたね。わたしはそこに少しの寂しさも感じ、円熟も感じます。だとしたら、ここ数年はホロウ・シカエルボク氏にとってのカンブリア紀だったんだ……などと。今、ここまで書いてきて、「最初に書かれたイメージの爆発」ということと、「漸近的に増えていくイメージの豊穣」ということを思ったのですが、ホロウさんにとってはどうだったのでしょうか。──「考え方を変えることが必要なんだ」は、ホロウさんにとってのリップサービスでもあり、生な信念でもありますよね。その二律背反。ん-、ここには戦う詩人の格闘というものがあるんだろうな。ただ、このごろのホロウさんが<詩を書く>人のための指針を書いているようであること、わたしはそこにホロウさんの優しさも感じ、危機感も感じます。リルケのように「若き詩人への手紙」を綴るのか? いや、朔太郎なんかもそうだったのであろうけれど……時代の要請はどうなのだろう? そんなことが真っ先に気になるわたしで。この詩人が<詩に憤死する>ということはなさそうだけれど、<詩と心中する>可能性、というものをわたしは考えてしまう……そこに、読者にたいする救いはあっても、作者本人にとっての救いはあったのだろうか、と。さらなる変化を期待し、それをまた待ち焦がれております。今はまだ、<詩を書くということへの不安><詩を書いている人間にとっての不安>というものが表れすぎているようにも思えますので……一見すれば、ということではあります(つまり、表面的な)。でもまあ、それがランボーの<白鳥の歌>のように、もっとも詩人たちを魅するものではありますよね。
---2024/10/31 03:56追記---

追記です。
どうにも盛大に誤解していましたようで、申し訳なす。「しかしその、朧さんのiPhone使用者へのイメージはちょっと、偏見が過ぎませんか?(笑)」については、あえて極論というのはあるのですが……。批評をするにも正確に書けば良いわけではなく、ということを思っていて。そこはわたしの思い入れで良いんじゃないかな、という感じで今はいます。──誤解と言いますか、たぶん言葉の使い方やニュアンスをわたしが間違っている部分というのもあるんですが、わたしもたぶん、この詩の面白さに惹かれて言葉が勝手につづられてしまった、という面が強く。批評者としては失格だろうという思いもしばしば抱いたりはしているのですが、実際に打ってみないと作者の心が分からない、ということはあって。例えば、作品を読んですべてが分かる、という人もいて、そういう人は超能力者?とわたしは感じてしまったりするのですが、そうした人も半世紀経てばやがて盛大に否定されるものなのでしょうし……なんとなくホロウさんとは、ひだかさんとのようにメールのやり取りをして、ある程度の事前情報を確認しながら、というやり方をしたくない気がしております。たとえ誤読であったとしても、思うままに書いてみたほうが良いのかな、などという気もしているものなのです。そこは、一つだけ弁明をさせていただければ、ホロウさんとその詩の感受性そのものから来るものなのだろうな、と思っております。丁寧な返信をありがとうございました。
---2024/11/02 23:37追記---