食べる/レタス
菊西 夕座さんのコメント
アイス珈琲を食べた
ではなく
アイス珈琲で食べた
というところに常人ではなかなかたどりつけない独特の境遇と贅沢感が感じられました。

通常であればアイス珈琲が至福の一杯なのでしょうけれど、ここではアイス珈琲がクスリとサプリを飲むための脇役に回されている。まるでアイス珈琲は馬かラクダかなにかであり、それにまたがって仙境の桃源郷へゆるゆると歩みをすすめることで、俗界ではなかなか手に入らない幻のデザートを食されている。アイス珈琲が目的ではなく手段として扱われている点において、庶民にはまったく縁遠い、王侯貴族の浮世離れした華麗なる食卓を見るような思いがいたします。

もちろんこれはクスリ漬けの不自由な生活において、アイス珈琲をあえて脇役にまわしてでもクスリをデザートに格上げして「食べる」ことで、不憫さを楽しもうという作者ならではの前向きな態度が呼び起こす贅沢さなのでしょうけれど、それが力みなく自然になされていて好感がもてました。

アイスをカタカナとし、珈琲を漢字にすることで、この組み合わせに区別をもたらしている点も好ましいです。というのも、「アイスクリーム」ののった珈琲(コーヒーフロート)を連想させるからであり、単なる冷たいコーヒーより贅沢感とデザート感が増すからだと思います。「珈琲」という見た目は品格が出ますし、どこか優雅にさえも感じられますから、ほろ苦さをユニークさで和らげて慎み深くも優雅にほほえむこの詩の詩情を高めるうえで効果的だと思いました。