仏蝶/リリー朧月夜さんのコメント
少し惜しいと思います。詩の読者にとって、真に面白いと思えるものは、なんでしょうか。アフォリズム? 抒情? 叙事? いずれも、一時代を席巻した創作手法ですし、今もそれに懐かしさを感じる人たちは多いと思います。この詩でとくに良いと思ったのは、「ビーチグラス」や「仏蝶」といった、詩作品にあっては独自な言葉でした。「ビーチグラス」はあまりにもディレッタントな言葉であることによって、「仏蝶」はあまりにも哲学的な(あるいは、それは作者の造語なのでしょうか)言葉であることによって。わたしが感じたのは、こうした言葉が工夫されて出てきたものなのか、自然に出てきたものなのか、そう思わせる「感慨」でした。一言で言えば、そこには「詩の言葉」があるのです。読者を受け入れているようでもあり、読者を拒んでいるようでもあり。リリーさんの詩を読むと、まだまだ発展途上にあるのだということは、申し訳ないながら思います。次々に出てくる言葉に翻弄されながら、最後に感じたのは、安心感でした。よく、破綻せずにまとめたな、と。こうした「あやうい感じ」を貫くのも、あるいは詩にとっては魅力であり、果敢な実験なのかもしれませんが、わたしはやはり「危うさ」を感じました。かろうじて、詩としてまとめあげたな、と。ここにあるのは「作者の人生観」だと言えば、それはチープな感想にすぎるでしょう。詩の本質というものも、そういうものではありません。ただ、やじろうべえのように作者が迷っていることも詩にとってはひとつの味であり……おしまいに、わたしが少し意外だと感じたのは、この詩における仏教的な色調です。作者のこれまでの詩を注意深く読んでいれば、それは「むべなるかな」ということでもあるのですが、リリーさんは滋賀に住んでいらっしゃる。わたしは京都の東山に住んでいたことがあるのですが、京都・滋賀というのは霊力のある土地ですね。奈良・飛鳥のように神道的な土地ではなく、仏教的な土地としての霊力がある。これはひとつの郷土性の表れでもあるのでしょう。……これ以上は蛇足ですね。もっとも、どんな感想も蛇足だとわたしは思っているのですが。