五行歌、繋ぐ感触/ひだかたけし
朧月夜さんのコメント
ひだかさんの使う「ヒビキ」は、もっとずっと初期の詩、例えば「宇ノ声」(2017年1月14日)などを参照しないと、よく分からないんですよね。萩原朔太郎が「竹」を再三にわたって描写したことにも通じますが、朔太郎にとっては「竹」は「病人の顔」でした(「地面の底の病気の顔」/『月に吠える』所収)。いや、「病人の顔があらはれ」と歌っているから、それは病的な印象を「生起するもの」(トリガー)だったのかもしれませんが……朔太郎はとりたてて健康状態が悪かったとは言えないので、そこは詩の神秘ではありますね。ひだかさんの「ヒビキ」という言葉は、より「収束」という意味合いが強いように思えます。これもうがった見方ではありますし、朔太郎の「竹」と同様、なんらかの分岐点・作者の覚醒のようなものなのかもしれませんが……。「覚醒」というとどうしても前向きな印象でありつつ、破壊的なイメージでもあるので、ここでわたしが使うのはあまり適切ではないかもしれませんね。ただ、やはり今後ともひだかさんの使われる「ヒビキ」には悩むと思います。※微細な部分を修正しました。

---2024/04/10 02:11追記---

詳細なお返事をありがとうございます。多分、そこに全てが現れているのかな、と。「返コメ」を待ちますとのことでしたが、今のわたしは単なるインタヴュアーのようなものでして、「詩人ファン」に過ぎないのですよね。遠い昔に詩を書いていた記憶もあるかなあ……くらいの。そんなに昔のことではないのに、とても昔に感じます。わたしは「読むことのスリル」を書いて、ひだかさんの詩を味わう者としてではなく、解釈する者としての寂しさを味わいました。なので、今は表面だけを滑るようなコメントのみにて容赦していただければと思います。
---2024/04/11 11:56追記---