初鳴き/リリー
アラガイsさんのコメント

拝見してみました。戻り梅雨~ということは初夏~ということですね。終わりの~もう街にはいないのです。にちょっと胸キュンと薄く血が通いました。冒頭部分がほぼ同じくで繰り返されますね。歌詞を意識したのかな?。わたしが胸キュンと湿らされたのは蝉を擬人化として読んだからでしょうね。秋には去っていく誰かさんとしての想い。ならば、ならばだけど、ちょっと蝉の表現が多すぎると思う。作者はべつに蝉の形態のことだけを表現したいわけではないでしょう?隠された喩もある。ということでこの冒頭部分が繰り返されるのならば、~一番はじめに鳴くセミがいるのです。このセミの表現を変えてみたいですね。「初鳴き」のタイトル。これは最初に鳴くことで何を表したいのだろうか。蝉が鳴くのはわかります。もしも、ですよ。わたし捉えるように擬人化を意識されたのならば、~鳴くセミの表現を何かに喩えてみたいですね。喩化されているのはらば、蝉という生きものの表現が多すぎると感じました。


---2023/04/06 13:55追記---
違うところに書いちゃった、汗
コメント拝見いたしました。そうですね。蝉の命を考えるとせつないですね。土の中で長く生き、出て来ればわずか数週間後?の命です。道端で転がる蝉の死をみれば、その生き急ぐ形態が我々の人生と交錯してきて、感慨深い思いにもかられます。詩の書き手たちも、私も、そのせつなさを喩えとしてよく表現に用いることがありますね。ガンバですね。


自信作。いいですね。カワユ、です。
だいぶスッキリと読めてきました。今年は季節の~やはり繰り返されるのですね。ならば~戻り梅雨に降る雨の~ここからもう少し改訂できるのでは?とか僕はおもいましたけど、まあ、僕の好む勝手な意見です。


雨の上がった街にいま~これだけで連と空けられるのは少し物足りなさをかんじますよ。街に~ならば語り手自身が出かけてみればどうでしょうか? 雨上がりの心象を作者は語り手に描き映し出すのです。

※ラーメンが伸びてしまいましたよ笑
ですね。手直しならば時間をおいたほうがいいです。いいアイデアも次々とうまれてきます。



拝見いたしました。

「私にも夜半の雨音で目を覚ました翌朝にいた一匹~」これは助詞の使い方に問題があるし、やはり助長で文章の読みにはなっていないと思われます。
恐縮なのですが、私なりに先生になったつもりで改訂させてみます。もとの文表現は極力使います。
「夜半の雨音で目を覚ました翌朝 濡れたアスファルトの路面に 陽射しははどこかなつかしい旋律をハミングして 洗濯物を干していたら、蝉の鳴き声はとても弱々しくて ほんの短い間に途絶えてしまいました。

いかがでしょうか?大まか、もとの文を活かすように、私なりに改訂してみました。詩の綴りは基本めちゃくちゃでもいいと思ってます。そのほうが個性を発揮できるからです。しかしいくらめちゃくちゃでも読みづらければどうしようもないです。助詞や息継ぎ、改行、そして省かなけれならない足さなければならない文章表現。基本はたいせつですね。5W1H、なんて言い方があり、新聞記事では用いるのが基本です。多くの作品を読みこなして作家の文章表現を味わい、研究する。そしてなによりも作品作りにはイメージが大事です。語り手の容姿から考え方まで把握できているか。ご自身の作品を何度も繰り返し推敲してみるのもいいでしょう。それも練習のうちです。読んで書いて疑問を追求していけば必ず上達はしていきますよ。頑張ってください。




---2023/04/07 13:33追記---

---2023/04/07 14:06追記---

---2023/04/07 14:09追記---

---2023/04/07 14:37追記---